人口30万都市としては世界一の豪雪都市らしい青森市(青森は本当に世界有数の豪雪都市なのか?)ですが、平成18年豪雪、昭和52年豪雪を記憶している市民は多いことと思います。
 しかし、昭和20年(1945年)豪雪は生やさしいものではありませんでした。昭和19年12月2日から降り始めた雪は連日降り続け、青森市の都市機能を奪いました。

「今年の積雪は近来にない程多くこれがため鉄道輸送は非常な困難を来してゐる。十二月中旬以来重要物資は勿論北海道炭の如きは平時の半分しか輸送が出来ない実績であったが幸ひ軍官民の一致協力で一時漸くこれらの輸送旧に復帰したかの観があったものの、最近再び難関に遭遇するに至った。
 一月二十日現在迄に重要線である青森駅、青森操車場間に動員された各種団体、先づ青森動員署を中心にして結成された勤労報国隊の五三団体(これは町会、隣組も含む)それに鉄道請ひである仙鉄工業社からの供給人夫、市内中等学校並国民学校生徒、在郷軍人会員、鉄道現業員等となっている」(昭和20年1月22日付け 東奥日報)

 南方石油が途絶した日本にとって唯一のエネルギーともいえる北海道石炭を京浜産業地帯に送る方法は、船舶が不足していたため鉄道に頼るしかありませんでした。大日本帝国の生命線を支えるため、青森市民は職場、町内会、隣組、学校単位で青森駅-青森操車場の除雪作業に駆り出される事になります。2月になってようやく通常運行が確保された東北本線でしたが、2月21日積雪は青森市の観測史上最高となる209センチとなり、再び輸送は途絶してしまいます。

 積雪2メートルということは、同じく2メートル積もっている屋根雪が地上に落ちると、単純に4メートルとなる計算です。青森市の繁華街新町通りのデパート松木屋も完全に雪に埋もれてしまいました。松木屋前の市川蓄音機店の屋根には「打倒米英」の文字も見えます。

この豪雪について青森県警察部は青森県庁前の積雪を3メートルと記録しています。この日昭和20年2月21日付け東奥日報は「敵・皇土の南關に侵攻 硫黄島に上陸開始 我部隊邀撃戦中」の大見出しで硫黄島にアメリカ軍が上陸したという大本営発表を報じています。すでに関東・東海地区はB29の空襲にさらされ、2月17日にはアメリカ軍機動部隊艦載機による空襲も始まっていました。わずか半年後、青森市民は焦土の中、敗戦を迎えます。(N.K)

※このコーナーは、かつて「青森今昔物語」に掲載されていたものの中から、ブログの更新が2014年以降ストップしていることもあり、主立ったものを関係者の承諾を得て、奏海HPに転載するものである。