「ラスキン」のマッチラベルと寺山修司㊨の写っ た写真(藤巻健二氏撮影)。隣は親友の京武久美

「ラスキン」のマッチラベルと寺山修司㊨の写った写真(藤巻健二氏撮影)。隣は親友の京武久美

マッチラベル帳が回覧されたのは、5月定例会でした。マッチ箱から女性らしい細やかさで丁寧に剥がされ、60余枚それぞれに思い出が書き添えられています。この中の一枚に、青森市上新町の北谷書店2階にあった喫茶店「ラスキン」のマッチがありました。以前、昭和37(1962)に青森市民会館で開催されたレコードコンサートの2色刷りプログラムに見たことがあるそれでした。「本物だ!」と、思わず声を出していました。マッチラベルの配色や大きさは、本物でしかわからないからです。電話番号から、昭和36(1961)年以降、昭和45(1970)年以前のものとわかりました。

「ラスキン」は戦後喫茶店の老舗中の老舗で、北谷書店の主人が経営していたジャズなどを聞かせる洒落た店でした。寺山修司は青森高校在学中(昭和26~29年)、「ラスキン」に時々行っています。寺山とジャズの出会いは、疎開していた三沢市時代と思われます。この後、青森市立野脇中学校に転校した寺山は、堤界隈の国際劇場で江利チエミのジャズボーカル(「Come on a my House」)を聞いています。後年、この時のことを「ジャズは焼跡を通りすぎる福音というか、何となく「うらやましい」彼岸のものだった。とても音楽なんかじゃなかった。」と回想しています。このマッチラベルは寺山修司を研究する上で、貴重な資料となると思われます。(青森まちかど歴史の庵「奏海」の会会長・相馬信吉)