旧青森駅前の様子=昭和28年9月(平井克彦氏提供)

旧青森駅前の様子=昭和28年9月(平井克彦氏提供)

青森市新町一丁目の風景=昭和27年5月(平井克彦氏提供)

青森市新町一丁目の風景=昭和27年5月(平井克彦氏提供)

上の写真は、昭和28(1953)年に撮影された旧青森駅前の様子です。「帰国者 歓迎」の看板と、駅前に止まる3台の三輪自転車タクシー、別名「輪タク」が目を引きます。「輪タク」は、写真が撮られた頃には、ほとんど姿を消したと言われています。青森では、まだ、使われていたのでしょう。

看板の下に立つ子供は、すでに70歳前後になっています。戦後、無事に引き揚げ、帰国がかなった方々の陰に、きびしい開港検疫のため、本土を目の前にしながら、上陸を許可されず、船の中で亡くなられた方がたくさんいた、という悲惨な話もあります。

下の写真は、昭和27(52)年に撮影されました。新町通りの中央を歩く、進駐軍の兵隊さん。「カネ長武田」や「甘精堂」も見えています。この年、日本は朝鮮戦争の影響を受け、経済も政治も戦後の復興に向かって、大きく歩き出します。

今年、生誕80年、世界の芸術家として評価が定着してきた寺山修司が、有名になりたい、と青森高校の文芸仲間と全力疾走を開始した年でもあります。

17歳の寺山修司も時代の変化に呼応するように、野望に燃えて走っていました。寺山の戦争体験は、父の戦病死、米軍基地で働く母、三沢暮らしと、アメリカと関わりの深いものでした。新町を歩く米兵と、彼は、どのような思いですれ違ったのでしょう。(青森大学教員 久慈きみ代)