青森駅電務区から見えた爆撃機(絵:張山喜隆)

青森駅電務区から見えた爆撃機(絵:張山喜隆)

母が二十歳の頃、青森駅の電話の交換手として、電務区と言う所に勤めていたそうだ。青森空襲の日は、丁度夜間勤務の目だったので、午後の5時頃から勤務に入ったそうです。

それから間もなく、母の電話交換台に、新潟管区から呼び出し信号が入ったので、急いでメモ帳を開いて、「はいこちらは青森駅交換台です。」と答えると、慌てた声で、「こちらは新潟駅です。只今当上空を、B29敵爆撃機の大編隊が北に向かいつつあり。充分に注意されたし」と言ったので、そのメモを区長に渡すと、区長は顔色を変えて駅長室に走って行った。

同僚に、「今爆撃機がこっちに向かっていると入電があったよ」と伝えていたら、同僚の一人が窓の外を見て、「爆撃機ってあれかな。」とハ甲田山の上を指さすと、見る見るうちにその数は増えて、雷鳴のような轟きに青森市は包まれてしまった。外に逃げようと恩ったら、区長が、「自分の任務を離れるな。死守せよ」とドアに立ちはだかったので、震えながら交換台に付いた。

今でもあの低い爆撃機の音と、弾倉の扉の開く鈍い金属音と、爆弾の離れる擦れた音と、落ちて来る風切り音と空中で作製する音と、その後の悲鳴と家の燃える音と。とにかく、外は火の海なので目を閉じたままで交換台にしがみ付いているしかなかったそうだ。(聞き書き:張山喜隆)