学校の校庭に据えられた高射砲(絵・張山喜隆)

学校の校庭に据えられた高射砲(絵・張山喜隆)

戦争中は校庭にも高射砲があり、小学生達が毎朝登校する時間に、兵隊達が7〜8人くらい整列をして号令をかけ、国旗に敬礼をしていたそうです。学校でも体育の時間は、もっぱらバケツを使った消火訓練と、竹槍を使った突撃訓練をしていたそうです。

徴兵検査と言うのもあり、結果は甲乙丙と段階を付けられて、甲に選ばれると、「甲種合格」と胸を張って自慢したそうです。若者が出兵して行く時は、村中で万歳を三唱し、若者を兵隊に出してやった家は、お国のために戦っている立派な家と褒められ、若い女性達も、戦地で傷ついた兵士を看護する従軍看護婦に憧れて、女学生たちは大抵それに志願したそうです。

母の家でも兄が二回も出兵し、運よく生きて帰って来れたそうですが、その間は両親とも、兄が帰って来るまで毎日心配をしていたそうです。弟達が徴兵される前に戦争は終わりましたが、敗戦という形で終わったので、今度は、日本人は皆米英の奴隷にされるのではないかと心配をしたそうです。

教育とは、戦争に勝てば正しい教育、負ければ間違った教育のように見られがちですが、世界中から戦争という二文字が消えない現実を見ると、平和教育は、現実離れしか理想論とか机上論なのかな。今の日本人は平和ボケと言われているが、世界の中では、今も戦火に晒されている家族達が居る事を今の子供達に教えてほしい。(聞き書き:張山喜隆)