主に青森市の古写真(絵葉書)や地図などを展示している、青森まちかど歴史の庵「奏海(かなみ)」の公式ホームページです。

ブログ

コロナ禍における文化活動についてー二つの市民団体の活動を通してー 相馬信吉

1.はじめに私は今年8月に、満70歳になった。21世紀を目前に亡くなった父は、太平洋戦争に出兵し、幸い負傷することもなく復員し母と結婚したため、私がこの世に生まれた。普段は無口な父がなぜ、酒を口にすると暴れ狂うのか、私が …

あおもり今・昔11ー戦前のマッチラベルから見る青森市1ーカフェ「パリジャン」

 私は若い頃ヘビースモーカーでしたが、妻が妊娠したのを契機に、たばこを吸うのを止めました。約40年前のことです。勤め先では、机の上に灰皿が置いてあり、時間に関係なくたばこを吸っていました。今では考えられないことでした。 …

70歳爺の青森ねぶた動画制作

 私は奏海の会会長をしています。年齢は70歳をこえていますが、新しもの好きは年をとっても衰えません。周りの若い会員が最新式の4つもカメラが付いているスマートホンをもっているのが羨ましく、我が家の大蔵大臣に中古iPhone …

あおもり今・昔10ー浪打駅付近から相馬町

 旧国鉄時代の浪打駅付近から相馬町(現.港町)の堤川東河口付近に“引込線”があったことはごく一部の間ではたまに話のネタになっていたものです。  今回の衝撃的なこの発見は6月の或る日の事Twitterを眺めていた時でした。 …

「77年目、鎮魂の踊りと祈り」世良 啓 

 白塗りの男が市役所前の歩道を駆け抜ける。赤と黒の着物が歩道と平行に靡く。まるで志功の風神だ。気温約30度、南中した太陽がじりじり地面と見物客を灼く。  振り向く男とバス停を発車する市営バス、虚構と現実の偶然の出発を引き …

カラーで蘇る戦時下の青森高等女学校

収録日:2022年7月23日 収録場所:青森市 使用素材:青森空襲を記録する会から提供を受けた白黒写真 カラー化作業:画像ソフトのPhotoshopを使用

「棟方志功記念館閉館は残念」會田美喜

 棟方志功生誕120年を迎える2023年。 同年度末で青森市の棟方志功記念館が閉館し、作品は県立美術館に移すという報道を知り、残念に思った。昨年9〜12月、岩手県一関市博物館で「棟方志功展」が開催され、久しぶりに私が好き …

あおもり今・昔9ー避難を禁じられた青森空襲

 第二次世界大戦の末期、日本政府がポツダム宣言(昭和20年7月26日)受諾を黙視(拒否)した7月28日の夜、青森市は、米軍B29爆撃機62機(1機は投弾失敗)の空襲をうけ、22時37分から23時48分までの71分間に、新 …

あおもり今・昔8ー八甲田山の雪形

 青森市民にとって八甲田山はふる里のシンボル。ヤマセ(偏東風)から守ってくれ、残雪は日本一美味しいといわれる水を恵んでくれます。この冬のように雪が大変ということがあっても、苦あれば楽ありで、春がくれば自然の恩恵を享受でき …

あおもり今・昔7ーあおもり文学散歩

 そろそろ街を歩きたい季節となりました。小中学校では地元の歴史や母校の先輩たちについて学ぶ機会もあるようですが、高校では、歴史ある学校でも、なかなか時間が取れず、また、校舎の移転や建て替えによって、史料も残っていない、と …

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