右側には旧浦町駅、左側の建物は松原中学校(阿部秀正氏撮影)

右側には旧浦町駅、左側の建物は松原中学校(阿部秀正氏撮影)

この写真は昭和38(1963)年12月に青森市松原地区で撮影されました。右手に写る線路は昭和43(1968)年までこの地区を走っていた東北本線で、現在は跡地が遊歩道緑地となっています。左手に見える建物は、青森市立松原中学校(昭和40年閉校)の校舎北側です。

この校舎は昭和12(1937)年に野脇尋常小学校として建設され、昭和19(1944)年に官立青森医学専門学校(弘前大学医学部の前身)の校舎となりました。しかし、青森医学専門学校は青森空襲で附属病院などを失い、昭和22(1947)年に弘前へ移転します。

残された校舎には昭和22年から24年まで市立野脇中学校(現市立南中学校)が置かれ、一時は市立第二中学校(現県立北斗高校)と県立青森高等女学校(現青森高校)も校舎の一部を利用しました。更に、昭和24年から29年までの間は市立野脇小学校(現市立堤小学校)として、昭和29年から40年までの間は松原中学校として使われました。

校舎は松原中学校の閉校によって役目を終え、跡地には昭和44(1969)年に青森市民文化センター(現中央市民センター)が建設されました。その敷地内には平成6(1994)年に建立された「弘前大学医学部発祥之地」の碑があり、かつてこの地に青森医学専門学校があったことを伝えています。

青森まちかど歴史の庵「奏海」の会・村上亜弥)