青森高校を地区内に擁する青森市桜川団地町会では、今年度が町会創立50周年にあたることから、記念誌を発行する計画が持ち上がり、現在、関係資料や古写真などの収集にあたっています。その一環として、4月下旬の桜満開に合わせて、ドローンを使って町内の航空写真を撮ることになりました。
早朝から始まった長時間の撮影後あがってきた写真には、桜並木の素晴らしさもさることながら、八甲田山系から青森湾に向かって流れる荒川と駒込川との合流地区に、桜川団地が形成されていることがはっきりと映し出されていました。団地近隣には、多くの幼稚園、堤小学校、筒井小学校、筒井中学校、青森高校があり、恵まれた教育環境にあります。また青森駅から4Kmほどに位置し、近年地区内に筒井駅も完成し、益々住み心地のいい場所として、子育て世代には人気が高まっているようです。
次に、桜川団地ができる以前この地はどうだったのか、少し歴史を紐解いてみましょう。まず団地造成が始まる直前の、昭和37(1962)年に撮影された航空写真をご覧ください。青森高校の北側は、一面の水田地帯でした。市の中心部に近いにも拘らず水田地帯だったのは、それなりの理由がありました。文字通り「荒れる川」である荒川と駒込川に挟まれ、昔から洪水の常習地帯で、住むのには適していなかったのです。地形図を観ると、八甲田山系から青森湾に流れ込む川の殆どの水は、両河川を通して桜川地区に流れ込んでいると言っても過言ではありません。経験豊かな先人たちは洪水の危険性をよく知っていて、この地を住み家とすることはありませんでした。
そして戦後復興と人口増加により住宅が不足し、昭和37年から同42年にかけて、青森県住宅協会によって桜川地区で団地造成が行われました。それまで、平地から八甲田山系や東岳、そして遠く離れた岩木山も見えていた一面の水田地帯が、数年の間に造成され、昭和42年秋頃までには計画戸数の約3割=200戸余りの住宅が瞬く間に建設されました。
しかし昭和44(1969)年の夏には、荒川・駒込川が氾濫し、建ったばかりの住宅街が大洪水に見舞われました。過去の歴史に謙虚に耳を傾けず、洪水常習地帯での防災を怠ったためです。更に昭和50(1975)年の航空写真を観ると、現在の約8割に相当する地区が色々な建物で埋め尽くされています。このように桜川地区が青森市民にとって、住宅地として如何に人気が高かったか、航空写真等の変遷から知ることが出来ます。
今から見ると、車社会や豪雪などに充分対応した街作りがされていなかったため、50年の年月を経ると、色々と不備な点が目立ってきています。しかしながら、近年増加してきた「子育て世代町会員」と「熟年町会員」が手を携え、「故きを温ねて新しきを知る」をモットーに問題点の解決策を探りながら、次の50年に向けて更なる快適な街づくりを進めようとしています。
◆この記事は、桜川団地町会(松井亀彦会長)から全面的ご協力をいただき作成しました。なお関連資料等をお持ちの方は、桜川団地町会事務所(電話017-743-5039)までご一報ください。◆
(青森まちかど歴史の庵「奏海」の会:青森太郎)
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