白塗りの男が市役所前の歩道を駆け抜ける。赤と黒の着物が歩道と平行に靡く。まるで志功の風神だ。気温約30度、南中した太陽がじりじり地面と見物客を灼く。
振り向く男とバス停を発車する市営バス、虚構と現実の偶然の出発を引き金に、紅の着物を被った男は戦火を逃げる人となり、炎に包まれた肉塊となり、あるいは空から舞い降りた厄災そのものとなって路上で踊りはじめる。
1018人もの命を奪った青森空襲。その悲劇を忘れまいと戦後60年に青森市役所前にできた慰霊の碑。「青森空襲を記録する会」はその碑の前で「青森空襲・戦災犠牲者追悼・平和祈念の集い」を毎年行ってきた。
映画「いとみち」の中で青森空襲を語った今村修氏の主催者挨拶、青森市長挨拶の代読、そして焼夷弾で父を失った大坂昭氏の言葉が切々と続く。
そこに今年初めて鎮魂の踊りが加わった。
「わいハ、裸足で……、なんぼ熱いべのぉ」誰かがつぶやく。
その気の毒そうな声が、熱いアスファルトの上で悶え踊る男の火傷しかけた足裏を通過し、時間を遡り、焼夷弾に灼かれた地獄を裸足で逃げ惑う人々へ捧げる言葉に“成った”。
車の走行音が大小途切れず流れ続ける国道7号線。音の裂け目に風のように生まれたピッコロの小さな音色が、やがていくつもの声にならない声を連れてふくらみ、時に嵐や絶叫じみて天に爆ぜ、また祭笛や古い子守歌のように地面に滴る。男は風と音に戯れ亡霊を呼び現わし、そうして再び地下にそれを鎮め戻す。空爆で瓦礫となった街の写真に決して出現することの許されない死者たちよ。どん、どん、どん、と男の踏みしめる足の下から名もない死者たちの声が応じるように響く。
慰霊碑の子らの像を両手でわしづかみにして崩れ落ちたとき、彼は地蔵にすがって黄泉に還る魂となり、或いは犠牲になった子らへの詫びと誓いの言葉になった。
モウ二度トコンナ愚カナコト、シマセンカラ。手向けられた枯れ蓮。
午前に見た松原の中央市民センターの「青森空襲展」、多くの人が訪れていた。いつも以上に心が波立ち関心が高いのは、今年2月に始まったロシアによるウクライナ攻撃の映像と紐付くからだろう。講堂では青森中央高校演劇部が青森空襲の劇を上演していた。部員らの声はB29の飛ぶ音になり、炎になり、悲鳴となってセンター内に響き渡っていた。それが目の前の踊りに重なっていく。空から市民に爆弾が降ってくるのは過去の妄想ではなく現在どこかの現実だ。あの夜、新型爆弾の威力を試す実験場として選ばれ、焼かれてしまった青森よ、避難を禁じられた青森市民よ。私たちはその土の上に立ち、ウクライナや世界のどこかで今日も空爆があるかと思って窒息しそうだ。
7月28日は7年前「青森市平和の日」に定められた。戦争の時代はまだ終わらず、一度負った戦火の傷は77年経っても癒えきることがない。終わらない死者の嘆きを踊り手と奏者とが観衆に伝え、生身の鎮魂の時間を私たちは共有し、祈った。
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