青森県史編纂事業終了後、青森県は事業を通して集めた資料の一部を「青森県史デジタルアーカイブシステム」として公開している。私のような個人が使うのはもちろん、商用での使用も可能という、非常に寛大なデジタルアーカイブである。2022年の「デジタルアーカイブジャパン・アワード」を受賞するのも頷ける。税金で購入した資料を納税者に資料調査もさせないという、未だもって時代遅れの対応をする行政機関は、青森県史デジタルアーカイブを見習ってほしいものである。
ところで青森市に大正10(1921)年8月に、当時の二人の皇子が学校の夏季休暇を利用して、青森ねぶたを見に来た。地元町会は、二人の皇子に町会自慢のねぶたを見せようと、競争し大きなねぶたを47台も制作し、街に繰り出した。宮様がらみのねぶただったためか、他の年のねぶた絵葉書に比べて比較的多くの絵葉書が残されている。私も全くの素人ながら、あまりされていない戦前青森ねぶた編年表を作ろうと思い、それをまとめYouTube配信したことがある。
それから2年が経ち、今回改めて青森県史デジタルアーカイブを見てみたら、この時の一括資料と考えられる8枚の絵葉書群に気づいたので、皆様に紹介しようと思う。まずはその8枚(運行団体名等の推定は、立花善裕さんのリストに準拠した)をご覧下さい。
青森県史デジタルアーカイブには「大正中期」の絵葉書との説明書きがあったが、この時の絵葉書については先行研究から、何枚かは大正10(1921)年台覧ねぶたと気づいた。絵葉書通信欄を何度か見ると、右上に1〜8までの数字が記してあった!恐らくは、手元にあった一括絵葉書に番号を記し、友人に近況を報告したのだろう。資料2には、「浅虫に皇子殿下」云々(文面から、筆者は女性と思われる)と書かれており、宮様に青森ねぶたを見せた大正10年の絵葉書群と考えて間違いなかろう。
以上、青森県史デジタルアーカイブの公開がなかったなら、今回の一括資料の発見はあり得なかったと痛感した。また運行団体等の特定は、立花善裕さんの一覧表があったればこそ可能だった。今後も地道に、戦前青森ねぶた編年作業に取り組みたいと考えている。皆様方からの誤りの指摘や新資料の提供を願ってやみません。(相馬信吉)
※これまで多くの方々の努力で年代が推定できた戦前青森ねぶた絵葉書については、ねぶた師林広海さん主宰の青森ねぶたミュージアムで公開され、どなたでも閲覧できるようになっている。また、どなたでも新資料を投稿できるよう門戸が開かれている。
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