山へ避難する家族(絵:張山喜隆)

山へ避難する家族(絵:張山喜隆)

母の実家のある野内村は、石油の備蓄基地として、戦前から石油タンクが何基も建っており、外国人の家族も往んでいて、日曜日になると、外国の婦人などが白い馬に乗って村中を散歩したり、子供たちを遊ばせたりして、いたって平和な村だったそうです。

祖父などは、習った事のない英語で、挨拶程度は交わしていたそうである。しかし戦争が始まると、そこは日本軍が管理する事になり、外国人達は誰1人として居なくなってしまった。空襲の時、村の中にもけたたましいサイレンが鳴り響き、祖父母は子供達を安全な持ち山に避難させることにしたそうだが、どうしても三男が一人、家を守ると言って付いて来なかったそうです。

仕方なくの別の子供達を連れて村外れまで来ると、飛行機が急降下して、石油タンクに爆弾投下しているのが見えたそうです。子供達を急がせて山道にかかった時、青森が焼けているのが見えたそうです。そこで祖母は、勤めに行っている娘はそこで亡くなっただろうなと思い、燃える青森の方に向かって手を合わせたそうです。やっと山にある小屋に着いた頃はもう暗くなり、明かりも点けないでいたら、そこに、三男を連れた長男が現れ、やっと少しほっとして、お櫃に入れて持って来たご飯に、味噌を付けたおにぎりを作り、これが最後のご飯かなと思いながら食べたそうです。(聞き書き:張山喜隆)