私の父、中畑二郎は、兵隊で戦地に赴いていたそうですが、結核を患い出身地の野内村に帰って来ていたそうです。母が言っていましたが、とにかく性格の厳しい人だったので、早く病気を治してともかく戦地に復帰しようと思っていたそうです。
昭和20年7月28日の夜は、家の裏が砂浜の海岸だったので、夕涼みの為に波打ち際を散歩していたそうですが、突然青森方面から空襲警報が鳴り響き、一斉に明かりが消えたので辺りが真っ暗になったそうです。戦地にいた癖が出て、物陰に隠れてしばらく様子を見ていたそうですが、飛行機が飛んでこないので今のうちに家に帰ろうと歩きだしたら、青森上空に照明弾が落とされ、青森市内が明るく映し出されたそうです。
そうしたらゴロンゴロンと聞いた事の無い爆撃機の音が近づいて、一個の爆弾を落とされたのが見えたそうです。「あっ落とされた。」と思って見ていたら、続いて次から次へと何個も爆弾が投下され、それが空中で四方八方に枝分かれをして雨のように青森市内に落ちて行ったそうです。でも爆発をしなかったので不発弾かと思っていたら、白い煙に青森市内が包まれたかと思ったら、あちらこちらから火の手が上がり、あっと言う間に青森市内が火の海になってしまったそうです。それでもまだまだ爆弾を落とし続けているので悔しくて奥歯をぎりぎりと噛んで悔しさに耐えて見ていたそうです。でも今の自分には何もできなかったので、ただ青森市内が燃えるのを見ていたそうです。そして思った事は、反撃をしないこの状況を見て、「日本は負けるかもしれないな。」と思ったそうです。(絵・聞き書き:張山喜隆)
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