空襲の日、母の兄は二度目の兵役から生きて戻って家にいたが、野内村も石油タンクがあるために爆撃をされたので、家で死ねれば本望だと思って覚悟を決めたそうだ。でも兄弟達を安全な所に移動させなくてはならないので、家を離れることにした。
でも妹のテルが青森に勤めに行っているので、それだけが心配だったとか。次の日直ぐに自転車に乗り、青森市に向かうと、途中の八重田等は何もなかったように普段と変わらない景色で、人は見掛けなかったが、のんびりと猫が道を横切ったりしていた。
暫く行くと今度は、硫黄と焦げ臭い嫌な臭いが漂ってきて、屋根の上から湯気の様な煙が漂っているのが見えた。心が何故かざわつきながら浪打駅まで来ると、そこから見えた景色は今までに見た事も無いような焼け野原だった。直ぐに目についたのが焼け焦げた人間の遺体。そして壊れたビルや炭になって立っている家の柱等。そしてそこからの道路も熱く熱せられていて、自転車のタイヤの融けるゴムの臭いがして来た。これ以上前には行けないので、暫くその場に居て、煙の間から動く物や焼け残った建物等を探したが、まるで地獄を見ているように希望はかき消されてしまった。
その場で、「妹は死んだのだ。」と思い、泣きながら家に帰って家族にそれを伝えた。そして仏壇に線香を上げ、「テル。もし生きていたら山に来い。」と書いた手紙も添えた。(聞き書き:張山喜隆)
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