私は4年前まで、再任用で仕事をしていました。写真家田中義道さんとは、仕事を通じて20年以上前に知り合いになり、4歳年上の彼にMacやPhotoshopの使い方を事細かく指導してもらいました。その彼が2年前に急逝し、しばらく時間が経過してから、私は彼の死を知りました。タバコ好きで、最晩年は職業病の腰痛を我慢しながら、「孫に美味しいのものを買ってやるんだ」といいながら、考古遺物の撮影に取り組んでいました。そう、彼は青森県内で考古遺物撮影の第一人者で、後輩写真家は皆、田中さんの写真をお手本にしていました。
彼の死から2年経った今年の9月末に、ある研修会に私が講師として呼ばれ、そこで田中さんの娘さんと奇跡の出会いをしました!結婚後、名字が田中さんではなくなっていたので、紹介を受けた時、彼の娘さんとは知るはずもありませんでした。天国の義道さんが娘さんに口を開かせたとしか思えないように、「私の父は、青森市柳町で写真店を営んでいました」と語ったのです!後日、その時のことを義道さんの奥様に話したら、「うちの娘は、決して自分からそのような話を初対面の人にしないんです!」と驚いていました。
奇跡のような出会いから2週間たち、奥様から連絡がありました。「仕事場に残っているフイルムは、活用できるのであれば、著作権も含め全て青森太郎さんに譲ります」と。譲っていただいたフイルムは、主に中版カラーポジフイルムで、段ボール箱に6箱ほどありました。昭和40年代中頃からの青森ねぶたのフイルムが2箱、青森県内の空撮・風景・民俗などが4箱。殆どが35ミリフイルムではなく、中版フイルムというのがすごいです。1枚の写真に収められている情報量が桁違いに多い。私の中では、3つ目の「青森県のお宝写真群」です。
写真家人生の後半は、考古遺物の撮影に専念した田中義道さん。世間話の中で、かつては青森市名誉市民になった時(昭和44(1969)年)の棟方志功の写真があることは、教えてくれていました。なんといただいた遺品の中に、その志功さんの中版カラーポジがありました!満面の笑顔で飛び跳ねる志功!重いカメラと面積の広いフイルムで、ストロボを当てながらのベストショット!プロの撮る写真は、素人とは異次元。「社長(義道さんの愛称)、こんなすごい写真撮っていたのに、隠していたんだな」と、天国の彼に言ってやりました。照れ笑いしながら、何も言わない義道さんの様子が目に浮かんできます。
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180cmほどの長身で、青森高校バレー部で大活躍をした義道さん。大学で写真を学ぶために上京し、帰郷して家業を継いだ孝行息子。定番の青森ねぶた・観光写真・空撮などで腕を磨いた義道さんが、挑戦したのが考古遺物の撮影。私もかつて考古学の仕事をしていたこともあったので、考古遺物の撮影方法については研修も受けたことがありました。頭では理解しても、そのとおりに行かないのが世の常。写真のプロが撮影した遺物写真はすばらしく、私には真似ができなかった。もちろん、考古遺物への十分な理解がないときちんとした遺物撮影は不可能ですが、義道さんは専門家の指導を受けながら、的確な遺物写真を撮るようになっていきました。発掘現場の遠景写真や遺跡空撮になると、写真素人の私を含めた考古専門職員は全く太刀打ちできませんでした。おそらく、このあたりから、義道さんには、青森県内の考古学関係者からの撮影依頼が増えていったのではないでしょうか。
田中義道さんが生涯をかけて撮影したフイルムの多くは、ご遺族から青森まちかど歴史の庵「奏海」の会が譲り受けました。青森ねぶたに関する部分は、ねぶた研究家の工藤友哉さんがデジタル化を引き受けてくれました。青森市に関する部分は、青森太郎が残り僅かな人生を使ってデジタル化します。青森市以外がダンボール2箱ほどあり、中版フイルムなので中々引き受け手がありません。今では見ることのできない40年ほど前の、青森県内各地の四季の風景や民俗関係の貴重な映像記録です。関心のある方は、奏海の会へお問い合わせください。
ここ15年位の間に、私は3人の郷土映像記録群に接することができました。佐々木直亮弘前大学医学教授、写真家藤巻健二さん、そして写真家田中義道さんです。そこには、考古学が專門だった私が見てもとても貴重な、明治〜昭和を生き抜いた庶民の生活記録が活写されていました。昭和20(1945)年の青森空襲で中心街の殆どを焼失した青森市は、歴史資料が殆ど残っていない街だと言われてきました。しかし、「他所者」の私が個人で探し歩いてみても3人の「記録者」の映像資料に遭遇しているのだから、博物館などの専門機関が本気を出して探せば、見つからないわけはないと感じています。歴史資料はないのではない、探さないだけなのです!(青森太郎)
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