主に青森市の古写真(絵葉書)や地図などを展示している、青森まちかど歴史の庵「奏海(かなみ)」の公式ホームページです。
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月別アーカイブ: 2017年6月

【青森空襲紙芝居作成プロジェクト】第24回(完結) 寂しい疎開

その日の夕方の五能線の汽車で私達は親戚のいる木造村に向いました。でも帰りの汽車は貨物列車で、屋根のない貨車にずっとしゃがんだままで乗って行き、トンネルの中も汽車の煙の煤で皆真っ黒になっても、誰もが無言で乗っていました。一 …

【青森空襲紙芝居作成プロジェクト】第23回 貨車で疎開

後で聞いた話ですが、母の弟の叔父さんは、「北海道の室蘭が爆撃空襲されると思い、そこにいた叔母さんと子供達を折角青森に疎開をさせたのに、木造村にそのままいれば良かったのに、何で子供をわざわざ連れて青森に来たんだ。」と、とて …

【青森空襲紙芝居作成プロジェクト】第22回 眩しすぎる太陽

今思うと、自分も母になり子を思う気持ちが強いので、母のくやしさ、悲しさなど亡くなった時の叔母さんの気持ちがわかるので、今でも益々悲しくなって来ますがその時は、叔母さん達が亡くなった話を聞いて、私はずっとその寺の場所から離 …

【青森空襲紙芝居作成プロジェクト】第21回 防空壕の熱さと炎

その話を聞いた時私は、「自分は助かって良かった。」と思い、「叔母ちゃんと赤ちゃん達、死んじゃったんだ。」とだけ思いました。でも段々と時間が経つにつれて、「あの汽車で昨日一緒に来た叔母ちゃん達と、もう一緒に帰れないんだ。」 …

【伝えたい記憶】第27回 戦争「青森大空襲の避難者を助けた父(淡谷弘子さんからの聞き取り)」

青森大空襲の時私は6歳だったと思いますが、その時の父のとった行動は今でもよく覚えております。私の家は今の松森町に有りましたが、今と違ってまだ畑や田んぼが周りにいっぱいありましたので、青森中心部の人達が疎開をしに来ている人 …

【伝えたい記憶】第26回 戦争「顔にやけどをした叔母さん 沼田荻野さんからの聞き取り」

親戚の叔母さんの家は堤川河口付近の蜆貝町にあり、一家5人で漁師をしておりました。昭和20年7月28日は青森空襲がある日だと皆知っていたそうですが、家を焼かれても船で沖に逃げたら良いと思い、空襲警報が聞こえても誰も外へ逃げ …

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