「あおもりっていいなぁ」の担当の方から記事執筆依頼を受け、はじめてこのホームページの存在を知りました。どんな内容なのかなと、あちこちを見ていると、「戦前のねぶたや青森市内の町並み」という文字が目に入りました。
首都圏等で活躍している青森県人を紹介するコーナーに登場していた写真家の柿崎真子さんの紹介部分でした。
柿崎さんのお祖父さんが戦前に撮影したフイルムが、昭和20(1945)年7月28日の青森空襲で焼け残った蔵に保存されていたものです。お祖父さん(柿崎貞蔵氏)は青森市柳町で農薬や日用雑貨などを扱うお店(柿貞商店)を営む傍ら、写真が大好きで青森ねぶたや町並みなどを撮影していたそうです。
青森空襲で市内の殆どを焼失した青森市では、戦前の写真に遭遇することは稀です。そこで柿崎さんの連絡先を探し、電子メールで連絡を取りました。
しばらくして、柿崎さんから青森ねぶたの写真データが送られてきました。その中の1枚が上の写真です。
ネガフイルムが入っていた封筒からすると戦前の写真であること、半纏などから「大湊木材」のねぶた、それも「一等賞」という張り紙が貼ってあり、ねぶたの審査をしたこと、画面右端に高い建物の旗が見えていることなどが分かりました。
しかし、撮影年や撮影場所は特定できなかったので、ツイッター上で公開し、いろいろな情報を寄せてもらうこととしました。
程なく、ねぶた背景の洋風建築物は、盛岡銀行青森支店であるとの情報が写真とともに寄せられました。柿崎さんの写真と瓜二つ、ほとんど間違いはありません。では、その銀行はどこにあったのか?それも、ツイッターから古地図とともに情報が寄せられました。
現在の青森市本町2丁目にある日本料理「百代」の向かい角です。地図を改めてみると、写真に写っていた旗は、戦前の松木屋(現在の下新町高森銘茶堂の所)の旗であることもわかりました。
残るは、いつ撮影された写真なのか?中々の難問でした。それのヒントはまた、ツイッターで寄せられました。
先程の写真に「一等賞」という貼り紙がしてありましたが、戦前にねぶたの奨励金付審査をしたのは、昭和11(1936)年に限られるということが分かりました。そこで当時の新聞を調べてみると、8月22日に審査が行われ、翌23日に審査結果発表・表彰等が行われていました。このことから、先の写真は昭和11年8月23日に撮影されたものであることはほぼ間違いありません。
およそ80年前の青森ねぶたのこれほどまでに鮮明な写真を、私は初めて見ました。
戦前に働いたお金で高価なカメラを購入し、時代を記録し、フイルムを青森空襲の烈火から守り、戦後は蔵に大事に保管してきた柿崎貞蔵さん。今回の写真を含め、戦前のものだけでも500カットは超えると思われる写真群。青森空襲で市街の殆どを焼失した青森市に、これだけ沢山の「戦前への覗き窓」を用意してくれた柿崎貞蔵さんに深く感謝し、今回のタイムトラベルを終わります。
(青森まちかど歴史の庵「奏海」の会:青森太郎)
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