小学校2年生の時に樺太から引き揚げて来て、家族で青森市古川に住んでいました。それから1年後に空襲に合ったのですが、今考えると、B-29が来てから逃げたので助かったのだと思いますよ。
何故かと思うでしょうが、B-29が来る前に、敵の艦載機が来襲した事を誰も教えないかもしれないけど、それに大勢の人がやられたそうだよ。だってさ、実際にこの目で見てしまったから本当だって。
夕方薄暗くなってからB-29が来て焼夷弾を落とされて、それまで家の中に隠れている人たちが一斉に外に飛び出して逃げたんだけど、その流れで浪館の方に逃げたんだよね。そうして田んぼや畑が見えて来たら、その中で人がゴロゴロと倒れているのさ。明るいうちに逃げた人達が、敵の艦載機にやられたんだと大人の人達が話しているのが聞こえて凄く怖かった。
その夜はどこかの神社か集会場みたいな所から燃える青森市内を見て、空が真っ赤で火の粉が飛んで、それにまだまだ焼夷弾を落とされて、子供ながらにいつここにも落とされるかと思い気が気でなかったよ。
空襲の次の日に又古川まで帰ったんだよね。今考えると良く私の母も子供を連れて行ったと思うけど、そこにも焼死した人達だべさ、焼け跡にいっぱい転がったままで居てさ、怖くて怖くて母親にギリッとつかまって歩いたよ。
佃の母の妹の家は全く焼けなかったから、そこまで歩いて行ってやっと助かったと思ったけど、艦載機の攻撃が怖くて外へは出れなかったよ。(絵・聞き書き:張山喜隆/平成29年2月28日)
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