杉山武(アイヌ語地名研究家・八戸市在住)

 東北地方北部では、「やち」という言葉を湿地帯について使っている。漢和辞典で「ヤチ」という言葉を調べると、「谷地」ではなく、一字で「萢一ヤチ」と出てくる。そしてそれは国字(こくじ)として扱われている。国字とは、中国の漢字にならい日本でつくられた漢字のことであり、いわゆる和製漢字のことである。

 なぜ国字を作る必要があったかというと、漢字二文字のヤチ(谷地)は、当用漢字音訓表にない音訓であるという。それは、平野部に存在する「ヤチ」であり、漢字の持つ意味とは違うものである。谷地は西日本の方で使われていたようなのだが、なぜか漢字の意味とは異なる湿地帯という意味も付加している。

 しかし、東北地方北部の「ヤチ」が付く地名は大部分が平野部のものである。それはどういったものかというと、大部分が縄文海進時(今から1万年~5千年前頃まで、海水面の上昇により、内陸部に海が入り込んだ時期)のものであり、それが、徐々に陸地化していったのであるが、完全に乾かず低湿地としてずっと遅くまで残っていた所のことである。いわゆる、元は海であった所である。それを地元の人たちは「ヤチ」という音(おん)の言葉で呼んでいた。

 しかし、谷地という漢字の持つ意味の「谷地」を当てはめて使うのはおかしいと感じたことから、和製漢字「萢」が使われるようになったのではないだろうか。南部地方では、大部分が「谷地」の漢字を使っているが、津軽平野の五所川原市周辺に見られる「ヤチ」は萢と谷地が半々の割合であるが、どれも平地の湿地帯である。木造周辺で筆者が発掘をしていた頃は、水田の粘土層の下から土の中に密封された「サルケ」と呼ばれる多くの腐食仕切れていない植物が出てくる。昔の人たちはこれでだんご状にし、冬の燃料としたようである。南部で多い所は八戸の北からおいらせ町にかけてのところである。

 イギリスでは、スコッチウィスキーの匂い付けに泥炭を使っていたようであり、それを「ピート」という名で呼んでいる。いち早く「萢」という漢字の使用と、泥炭の活用をしていったのは、津軽の人たちかも知れない。

 また、アイヌ語では「ヤチ」は、「ニタ」と同様に湿地帯を表していることは、ご存じの方もいるが、八戸の「新井田」もその一つである。大辞泉・言泉では、谷地・谷・野地一やつ(谷)に同じとあり、それに付け加えて「アイヌ語が起源らしい。低湿地。」とある。つまり、国語辞典を作っていた人たちもアイヌ語が語源らしいと考えておられたようだが、北と南の方の「ヤチ」の捉え方に違いがあることを意識していたのか、詳しい記述はしていない。恐らく、東北地方では低湿地の中に埋もれている植物遺存体が炭団(たどん)のように丸めて干し、燃料として売られていたことは、青森の5、60代の方々なら記憶に留めておられることであろう。石油・石炭が高価でなかなか手に入りにくい時に地元の土地から出てくる泥炭を使い吸をとったのは、明治以降の生活の知恵である。言泉では、たに、谷あいの地、低湿地等の説明とアイヌ語起源らしいと書いてある。

 しかし、漢字の「谷」の意味は山間の狭い道や、川筋。山中の水の流れとある。谷地の文字を使っている南部地方の「谷地」は、本来「谷」にかかわった意味となるはずが、伝えていることは同じ湿地帯・低湿地の意味であることをお伝えしておく。


(*参考  谷地・萢の分布例一青森県の一部)
津軽一横萢、姥萢、富萢、繁萢、五月女萢原(そとめやちはら)、芦萢、
   尾花谷地、源兵衛谷地、錣谷地、下谷地、中谷地、茂内谷地、

南部一赤川前谷地、上大谷地、北谷地、菖蒲谷地、菅谷地、長七谷地、轟前谷地、中谷地、南大谷地、向谷地、上間谷地、下間谷地、下谷地、別当谷地、大谷地、浜名谷地谷地、忍谷地、前谷地、中谷地、葭谷地、