駒込川にかかる晴雄橋(はれおばし/桜川~松森)は、明治年間に青森歩兵第五連隊(場所は現在の県立青森高校)によって、浪打にあった練兵場へ通うためにかけられた古橋。そのことから、「軍隊橋」とも呼ばれていた。明治35(1902)年の「八甲田雪中行軍遭難事件」に関係した兵士達も、この橋を渡って練兵場へ行ったのだろう。「晴雄橋」の名前の由来は不明だが、軍隊にふさわしい名前であることは確か。
昭和20(1945)年7月28日の青森空襲の際も焼夷弾が直撃し、炎上したという。吹雪の中を通学するため青森高校生が渡っている昭和30年頃の写真には欄干もなく、難関校への通学にも「試練」が与えられていたようだ。
その後欄干が付けられ、浪打方面から青森高校に通う最短ルートとして利用された。
昭和44(1969)年8月23日の大洪水により流失。そして、昭和47年1月に新橋が完成し、現在に至る。
かつては、青森高校を含む桜川地区と東部地区を結ぶ唯一の橋だったものが、福田橋・南桜川橋・松桜橋などの新設によってその役割も小さくなり、橋幅が狭いことから一方通行橋となっている。
日頃、何気なく渡っている橋にはそれぞれの歴史が刻まれており、それを紐解いていけば、それに関わった先人たちの労苦が見えてくる。
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青森まちかど歴史の庵「奏海(かなみ)」の会:青森太郎
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