写真上は昭和31(1956)年5月30日に弘前市郊外で撮影された田植えの風景です。津軽の農村では“猫の手も借りたい”、一年で最も忙しいときです。
背景の岩木山山頂付近にはいくつもの雪形(残雪)が見えます。このうち一番右側にある逆三角形の小さい雪形が「苗モッコ」と呼ばれ、田植えの時期を教え ています。「苗モッコ」は初め真っ白ですが、雪消えにしたがって黒い部分が多くなっていきます。これを苗が一つ入った、二つ、三つ入ったといいます。
農家のひとは、この推移を見て熟練者は苗代から苗を取り、若者がそれを運び、女たちが苗を植えるのです。子ども達は“急げ急げ 田植えを急げ、お山のモッコさ苗(ネ)こ入った”と唄って歩いたそうです。(「津軽の民俗」、森山泰太郎、1965)
写真下は昭和55(1980)年5月18日に弘前市郊外で撮影。当時はまだ手植えが主流でしたが、苗づくりの技術が進み、早期の田植えができるようになりました。岩木山には「苗モッコ」など、さまざまな雪形が踊っています。
これはほんの一部で、これまでの調査から40体以上の雪形を確認、岩木山には日本で一番多くの雪形が住みついていることが分かりました。その理由は、津 軽平野にそびえる独立峰で周囲280度の稲作地帯から見渡せること、頂上から裾野にのびる尾根、谷間が多様な残雪形を形作っているからです。
(青森まちかど歴史の庵「奏海」の会・室谷洋司)
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