主に青森市の古写真(絵葉書)や地図などを展示している、青森まちかど歴史の庵「奏海(かなみ)」の公式ホームページです。
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青森空襲紙芝居作成プロジェクト

【青森空襲紙芝居作成プロジェクト】第9回 防空壕に逃げ込む

そこで私は、荷物を持ってすぐに父の後を追って向かいにあった正覚寺の防空壕に避難しました。外ではけたたましくサイレンが鳴り響く中、私達の後を追って当時中学校2年生だった兄も遅れて入って来ましたが、その後に背中に火のついた女 …

【青森空襲紙芝居作成プロジェクト】第8回 空襲で飛び起きる

暫くしてうとうとと眠りかけた頃、父が「起きろ、空襲だ。今すぐ逃げるぞ。」と言って私を起こしに来ました。

【青森空襲紙芝居作成プロジェクト】第7回 床につく

そこから帰って来た父は私に、「何があってもすぐ逃げれるように、枕元に自分の荷物をまとめて置けよ。」と言ったので、私はそのようにして布団の中に入りました。

【青森空襲紙芝居作成プロジェクト】第6回 父の怒り

久しぶりに寺町の家に入って「ただ今、お父さん。」と言うと、お父さんは私の顔を見るなり大声で、「なぜ今帰って来たんだ。今日は青森が空襲されるかもしれないと言う日で一番危ない日なのに、今すぐにでも帰れ。」と言われました。でも …

【青森空襲紙芝居作成プロジェクト】第5回 青森へ向かう

7月28日の午後、木造村から満員の列車に乗って川部で乗り換えをして、一緒に青森に帰って来ました。

【青森空襲紙芝居作成プロジェクト】第4回 叔母さんのお願い

それを聞いた市民たちは仕方なく帰る事にし、一緒に疎開をした叔母さんも「青森に帰らければ子供たちのミルクの配給券がもらえなくなるので、一緒に子供たちの面倒を見ながら青森に帰ってくれないか。」と私に頼んで来ました。

【青森空襲紙芝居作成プロジェクト】第3回 知事の怒り

その頃から青森市の住民達はいつ青森市が空襲を受けるのか気が気でなくなり、大人でも田舎に疎開をする人たちが多くなり、青森市の人口が一時的に少なくなりましたので、青森県で一番権力のある知事と言う役人が、「街を捨てる気か、青森 …

【青森空襲紙芝居作成プロジェクト】第2回 木造村へ疎開

戦争は1945年8月15日に日本が負けを認めて終わったわけですが、その前から日本の色々な都市が爆撃を受けており、いよいよ青森も危ないのではないかと思われておりましたので、小学校では入学前でも随時疎開を認め、高学年の5・6 …

【青森空襲紙芝居作成プロジェクト】第1回 表紙

「青森市寺町で空襲に遭いました」  富岡セツ 今から70数年前に、日本は国際連合国の主にアメリカと戦争をしておりました。戦争とは国と国の喧嘩ですから、国の方針を決める政治家たちが起こした訳ですが、その為に兵隊として戦死さ …

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