旧国鉄時代の浪打駅付近から相馬町(現.港町)の堤川東河口付近に“引込線”があったことはごく一部の間ではたまに話のネタになっていたものです。
今回の衝撃的なこの発見は6月の或る日の事Twitterを眺めていた時でした。”青森ガス”を撮影した航空写真を見つけた途端にこれは珍しい写真だなと思いながら見ていたが「この道路はもしかして幻の”引込線”の跡ではないか?」と直感し1948年撮影の航空写真と比較したところピタリ!と一致し確信に変わりました。更によく見てみるとなんと線路と枕木を取り外した後の土手状態も認識する事が出来るので二度ビックリです。
その写真の左上方には「藤田組通り」の呼称の由縁となった藤田組の電錬所(のちに製材所)の撤去跡に残っていた煉瓦造りの赤茶色した高い壁面が立っているのを見つけた時合浦小学校への登下校時によく眺めながら通った記憶が甦りました。
写真のガスタンクですが私が5歳前後の頃に岸壁で遊んだ帰り道通り掛かった時に建設工事の最中で半球状の形を溶接作業していたのを覚えています。その西隣りにあった県警察学校の校庭では大勢の生徒達が隊列行進の訓練をしていたのも記憶に残っています。
ついでに合浦小学校在校時の強い感慨として時折り独特の強烈な“臭風”に悩まされた事が思い出され私の「記憶の解凍」が始まりました・・・。その”臭風”と表現したのは近くの水産加工会社の製造過程で茹でた鰯を敷きつめた筵(ムシロ)に広げて天日干しをして「煮干し」を作るため特に北風が吹くとモロに影響を受けた。その悪臭たるやかなりヒドイもので当時の市民なら世代を問わず「相馬町の匂いだ」と言えばツーカーだったものです。(畠山光吉)
あおもり今・昔10ー浪打駅付近から相馬町
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