年頭に当たり、皆様に青森まちかど歴史の庵「奏海(かなみ)」の会を紹介したいと思います。そもそも奏海展示室ができたのは、平成25(2013)年8月のことでした。当時県都である青森市には、市立の歴史博物館がありませんでした。それを嘆いた今村修さんが私財をなげうって、青森市本町二丁目に小さな歴史展示室(写真1)=青森まちかど歴史の庵「奏海」を開設しました。この街の歴史を広く青森市民に知ってもらい、将来の青森市の街作りに役立てて欲しいとの思いからでした。
会員が企画を立て、調査研究、そして展示パネル作りと、さながら博物館の学芸員並みの仕事をしながら、素人集団が1年に4回の展示会を開催してきました。これまで、延べで20回以上になり、主に公立博物館でできなかった展示をやるよう努めてきました。その成果は、奏海ホームページやTwitter、YouTubeなどで配信してきました。
小さいながらも、この街の歴史に関心を持つ人々が集う場所ができたことから、貴重な歴史資料が持ち寄られるようになりました。例えば、昭和29(1954)年の青森市内地図がそれで、公立図書館にも所蔵されていないものでした。またインターネットを活用した資料調査も行っていて、県立図書館にも所蔵されていない昭和13(1938)年に発行された「青森県電話番号簿」を購入し、データを公立図書館と共有しています。小規模民間歴史展示室ながらも、フットワークよく郷土資料の発掘に務めています。
展示室での資料公開の他に、街に出ての講演会やシンポジウムを開催し、県民・市民への啓発活動も行ってきました。講演会では、平成30(2018)年にアイヌ語地名研究家の杉山武さんを講師に迎え、「青森のアイヌ語地名と存在意義」、平成31(2019)年9月には渡邊英徳東京大学院教授を講師に迎え、公開講座「記憶の解凍」(写真2)を開催しました。直近では、令和3(2021)年10月に、シンポジウム「青森ねぶたと市民」を開催し、2年続けて中止になった青森ねぶたのコロナ禍後のあり方について、市民と一緒に議論しました。
以上、がむしゃらに活動してきた8年間ですが、展示室運営には、少なからず経費がかかります。奏海の会への賛助金のお願いをして、雑文を閉じることにします。終わりに、皆様にとって、今年も良い年であるようお祈り申し上げます。(相馬信吉)
※このコーナーは、2021年11月から月刊「エー・クラス」青森(青森市内全戸配布フリーペーパー 約14万部)に連載を依頼され、当該雑誌が継続する限り続けるものです。青森市以外の皆様にも、閲覧できるようHPでご紹介します。
※このコーナーは、2021年11月から月刊「エー・クラス」青森(青森市内全戸配布フリーペーパー 約14万部)に連載を依頼され、当該雑誌が継続する限り続けるものです。青森市以外の皆様にも、閲覧できるようHPでご紹介します。
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