コロナサイダーのマッチラベルと青森市の映画館「歌舞伎座」のスクリーン(藤巻健二氏撮影)

コロナサイダーのマッチラベルと青森市の映画館「歌舞伎座」のスクリーン(藤巻健二氏撮影)

「コロナサイダー」と書かれたマッチラベル。この名前は、青森市民には馴染みがありません。歌舞伎座(現モルトン迎賓館)の東側にあった日輪商会が販売していました。「日輪=コロナ」からコロナサイダーと名づけたと思われます。

実はこのサイダー、写真家藤巻健二氏の証言によれば、歌舞伎座に下宿していた寺山修司が青森高校時代(昭和26~29年)に親友とそこで映画を見るときに、よく飲んでいた銘柄だったのです。「おい川浪( コロナサイダー経営者川浪慶一氏の息子さん)、家からサイダーもってこいじゃ!」と藤巻氏が言うと、川浪氏が密かに運んできたそうです。鑑賞中にサイダーのゲップが出て、周りからひんしゅくを買ったこともあるそうです。

寺山たちは色々な映画を見ていますが、その一場面を藤巻氏が撮影しています。歌舞伎座は洋画専門館、スクリーンには男優と字幕が映っています。「奏海」の会員である畠山光吉氏の調査によると、昭和28(1953)年に日本で公開されたハリウッド映画「終着駅」で、男優はモンゴメリー・クリフトとわかりました。60数年前、カメラを構えた藤巻氏の隣で、寺山修司が同じ場面を見ていたかと思うと、ワクワクして来ます。

寺山はコロナサイダーを片手に、父を殺した対戦国が作った洋画を鑑賞しながらも、日々、時代と葛藤していたに違いありません。そして、寺山が生まれた12月10日が間もなくやって来ます。(「奏海」の会会長・相馬信吉)