昭和41(1966)年8月7日、青森ねぶた祭の昼の運行 七日日の様子

昭和41(1966)年8月7日、青森ねぶた祭の昼の運行 七日日の様子

このカラー絵葉書は昭和41年(1966年)8月7日青森ねぶた祭 最終日、昼の運行七日日(なぬかび)の様子です。この頃は、8月3日から7日までの開催で3日・4日は子供ねぶた、大型ねぶたの合同運行は5日・6日・7日に限られ、しかも3日間とも毎日ねぶたの運行コースが違っていました。

ねぶたは厄払いのネムリ流しの行事に由来しています。願い事を書いた灯ろうを旧暦7月7日のお昼に、川に流して秋の収穫を祈るのがその原点です。青森市内では昔から堤川にねぶたを流していたのだそうで、その名残りと思われます。

午前11時、青森駅前を出発、新町・寺町を東進して堤川へ、そして堤交番前で解散となり、川のほとりで昼食、ひと休みしてゆっくりねぶた小屋へ帰るというものでした。もちろん小屋に戻るまで囃子が響き、跳人がハネ、街全体で行く夏を惜しみました。

青森駅を背にして新町通りを進む先頭のねぶたは、青森市役所の「風雲児信長」(鹿内一生作=四代目ねぶた名人)。安方の小屋を出て、右側(現アラスカ)角で待機中のねぶたは日本通運「不動明王と遠藤盛遠(えんどうもりとお)」(佐藤伝蔵作=三代目ねぶた名人)。奥には青森県庁の「児島備後三郎髙徳(こじまびんごさぶろうたかのり)」(北川啓三作=二代目ねぶた名人)。歴代ねぶた名人三名の作品が偶然連なる半世紀前の貴重な一枚です。

青森駅を出発点とする運行も昭和42年(1967年)で終了。翌43年からは国道・新町を通る全日程合同運行へと変更。合同運行日数の増加は、ねぶたが観光化していく端緒となりました。(ねぶた師・竹浪比呂央