1.はじめに
私は今年8月に、満70歳になった。21世紀を目前に亡くなった父は、太平洋戦争に出兵し、幸い負傷することもなく復員し母と結婚したため、私がこの世に生まれた。普段は無口な父がなぜ、酒を口にすると暴れ狂うのか、私が幼い頃からの謎の一つだった。更に広く戦争とはなんだったのかという疑問が、幼い頃から長い間あった。そして今から10年前の定年退職を機会に、青森空襲を記録する会(1980年7月結成)に入会した。

 大学で歴史学を学んだ私は、青森空襲そのものだけを対象とするのではなく、そこまでの経緯とその後のことを広い視野で学ぶことを心がけた。その中で、SNSを通してある精神科医と知り合い、父の酒乱のことを話してみた。するとその方は、「それは紛れもなくPTSD(心的外傷後ストレス障害)に間違いない。戦場で、深く心に傷を受け、その痛みを酒を飲むことで紛らすしかなかったのだよ」と教えてくれた。幼い頃は暴れ狂う父の姿に恐怖心を感じたが、半世紀後の精神科医の説明を聞いた後は、父も戦争犠牲者で、戦後亡くなるまでの半世紀余をPTSDと闘いながら、精神的にとても苦しい思いをして生きたのだと感じるようになった。家族には太平洋戦争時の体験を一言も語ることなく死んでいった父の心の中が、その時初めて理解できた。

 そして、2014年1月に青森空襲を記録する会会長の今村修さんが私財をなげうって、青森市本町に小さな歴史展示室を開設した。程なくその展示室を活動拠点に、青森市の歴史資料収集や研究・調査を行う会(青森まちかど歴史の庵「奏海(かなみ)」の会:以下では奏海の会と略す)を作ることとなり、私もすぐに参加した。毎月1回の月例会や1年に4回の企画展を7年間、愚直に続けてきた。会の活動は、少しずつではあるが青森市民などに知られるようになり、今では会員数が約90名ほどとなった。

 このように、私が所属する二つの会の活動は、順調に進んできていた。ところが2020年初頭、青森県内でもコロナウイルス感染が拡大しはじめ、両会とも少しずつ感染の影響から、それまでと同じような活動ができなくなり始めていた。以下では、コロナ禍、私が所属した二つの会がどのように活動を続けていったのか、その1年余の軌跡を概観する。
 
2.青森空襲を記録する会のコロナ禍の1年余 
 青森空襲を記録する会の会員数は、約30名である。会員の高齢化が進む中、大学生以下の会費を無料にしても、若い会員の入会は皆無である。この状態が進めば、いずれ会は消滅となる運命にある。月例会は月に1回開催しているが、参加人数は4〜5人と少人数である。昨春からコロナウイルス感染が広がったが、感染対策をきちんととった上で、月例会の開催は続けた。
 
 このような状況の中、青森市はコロナ感染蔓延で仕事が減ったアーティストなどを対象に、市独自の補助事業(文化芸術創造活動緊急対策事業補助金事業)の募集を始めた。そこで次の2点を事業目的に置いて、青森空襲を記録する会を事業主体として青森市に申請書を提出した。

(1)青森空襲体験者の体験記をもとに、電子紙芝居の台本を作る→台本に従い、各画面の背景画及び説明文を作成→背景画・文章をデジタル化し、動画制作ソフトを用いて、20分程度の動画制作→HP・SNSなどで広報→ネット配信。
(2)体験者数名の証言ビデオ収録→ビデオ編集・30分程度の動画作成→HP・SNSなどで広報→ネット配信。

 幸い上記事業が採択され、2021年8月初頭からビデオカメラなどの使用機材を購入し、順次作業に取り掛かった。(1)については、青森空襲体験者である故富岡せつさんの体験記をもとに、電子紙芝居の脚本・背景画等を作成し、各素材をデジタル化した。これらをもとに、動画編集ソフトを使い、パソコンで動画編集を行った。完成後は、YouTubeで動画配信した。更に日本語ナレーション動画を元に、翻訳ソフトなどを使用して、英語ナレーション版も作成した。YouTubeを用いて海外に向けて、75年前の青森空襲の惨事を発信し、地球上から戦争がなくなるよう訴えた。

◆日本語版 配信日:2020年9月22日 作成場所:青森市 作成者:相馬信吉 動画時間:16分7秒 動画タイトル:「伝えたい記憶」富岡せつさんの青森空襲体験 URL:https://www.youtube.com/watch?v=EjCBZoOmPwo


◆英語版 配信日:2020年9月22日 作成場所:青森市 作成者:相馬信吉 動画時間:12分3秒 動画タイトル:The memory I want to convey to you URL:https://www.youtube.com/watch?v=-PiaxUISrvY


 (2)については、青森市内在住の3名の青森空襲体験者に協力を求め、体験録画を行い、編集後YouTube配信を行った。
◆話者:藤田健市 収録日:2020年8月11日 収録場所:青森市新田 撮影者:相馬信吉 配信日:2020年9月4日 動画時間:7分38秒 動画タイトル:「青森空襲の思い出」藤田健市 URL: https://www.youtube.com/watch?v=blGABAe3LNg


◆話者:佐藤ちよ 収録日:2020年8月18日 収録場所:青森市本町 撮影者:相馬信吉  配信日:2020年9月5日 動画時間:10分30秒 動画タイトル:「怖かった青森空襲」佐藤ちよ URL:https://www.youtube.com/watch?v=_dbzA2vzJ3c


◆話者:平井潤治 収録日:2020年9月9日 収録場所:青森市本町 撮影者:相馬信吉  配信日:2020年9月12日 動画時間:16分41秒 動画タイトル:「9歳の青森空襲」平井潤治 URL:https://www.youtube.com/watch?v=NwtYdLupesk


 いずれも、話者と2人録画とし、できる限り距離を取り、更に部屋の窓を開放し、「三つの密防止」に努めた。YouTube配信の他に、インターネット環境にない人のために、家庭で再生できるDVDを作成し、100余枚を希望者に無料配布した。

 2021年になっても、コロナウイルス感染の勢いは、青森県内においても収まらなかった。例年であれば、「青森空襲の跡をめぐる集い」バス見学の開催は、コロナ禍では中止せざるを得ないという事になり、昨年に続いて2年連続中止となった。そこで私は行事打ち合わせの場で、テレビ会議のZoomを用いて、オンラインで空襲痕跡見学会を開催してはどうかと発案し、了承を得た。早速青森空襲の7月28日以前の2021年7月21日20時に開催日時を設定し、TwitterなどのSNSや電子メールなどを活用して参加者を募った。従来のバス見学の際は、ほとんどが青森市内からの応募だったものが、オンラインでは距離的制約が取り払われ、更には参加交通費がゼロということからか、遠くは関西や関東からの参加希望者があった。参加申込は、約30名であった。

 参加者が30名ほどのZoom会議を経験したことのない私は、当日のミスが許されないオンライン見学に備え、事前に知人などと予行練習を何度も繰り返した。それと並行して、当日説明に使用する写真資料の準備や説明者との打ち合わせなども行った。一方オンライン見学は、Zoomなどのテレビ会議ツールを使いこなしている人しか参加できない。そこで青森市本町にある奏海会議室にある大型モニターを使って、パブリック・ビューイングとまでは行かないが、会員用の視聴会を試行してみることとした。こちらには、6名の参加があった。

 いよいよ当夜を迎え、約30名の参加を得てオンライン見学会は始った。運営側の平均年齢75歳の高齢ながら、事前の予行練習などの効果が出たのか、進行は比較的スムーズに行った。参加者で特筆すべきは、地元大学生と高校生がそれぞれ1名参加してくれたことである。この内、この高校生は東北町在住に関わらず、青森空襲を記録する会への入会を即決してくれた。過去30年近い会運営の中で、初の高校生会員となった。また現在公開中の映画「いとみち」の中で、原作にはなかった青森空襲を主人公が学習する場面を挿入してくれた、青森市出身で映画監督の横浜聡子さんから、ビデオメッセージも届けられた。およそ1時間30分にわたるオンライン見学会の様子は、YouTube配信(https://www.youtube.com/watch?v=u9lgqTqD9MI)され、当日参加できなかった人々に視聴されている。バス見学会では試行することのなかったオンライン見学会録画の公開が、色々な方面への情報拡散となって現れた。


 2021年7月25日には、青森市内在住の講談愛好家坂本則秀さんに依頼してあった講談「青森大空襲(字幕入)」(https://www.youtube.com/watch?v=UBJollu_E5c)をYouTube配信した。坂本さんの講談調の語り口が若者達の心に響いてくれると確信している。

 最後に、10年ほど前から作り続けている青森空襲被害地図について述べる。制作の発端は、種々の情報の殆どをインターネットから得ている若者向けに、青森空襲の被害状況が一目でわかるデジタル地図は必須と考えたことによる。当時すでに、個人でも無料で利用できるGoogleマップが公開されていて、この上に「青森空襲被害地図」(https://www.google.com/maps/d/u/0/viewer?mid=1VsnH6lNX3g0CK_weS5zNupty3EM&msa=0&ll=40.82310179182352%2C140.74398231424422&z=13)を作り始めた。これまで18万回以上閲覧されていて、比較的好評のようである。

3.青森まちかど歴史の庵「奏海」の会のコロナ禍の1年余
 青森市本町二丁目に展示室があり、年4回の企画展を常態として開催してきていた。コロナ禍以前の2019年12月に開催した「中村哲医師追悼展」には、普段は殆ど来館することのない八戸方面から多数の来館者があった。それがコロナウイルス感染が拡大すると、2020年12月に同種の企画展を開催しても、来館者の足はピタリと止まってしまった。コロナ感染の危険性に、企画展の魅力が負けてしまったのである。 

 2021年3月に入ると、青森市内でのコロナ感染の危険性が更に高まったので、第1土曜日に行われていた月例会も中止せざるを得なくなった。結果として、同年の4・5・6月の月例会は中止となった。奏海の会が発足して初めて経験することである。そこで私は、コロナ感染を防いでの月例会の代替えを模索した。タイミングよく、Web会議の一つ方法であるZoomの導入に取り組んでいたので、2021年4月5日、記念すべき第1回目の「奏海Web会議」(参加者のみに限定公開)を会員3名で挑戦してみた。案ずるより産むが易し、とはよく言ったもので、想像していたよりずっと簡単にWeb会議ができてしまった。当初は参加者が3名であったが、少しずつWeb会議環境を整えるよう会員を勧誘し、参加者を増やしていった。

 2020年4月13日の第6回Web会議では、直前にその年の夏の青森ねぶたの運行が中止に決まったことを踏まえ、ねぶた師の林広海さんをゲストに迎え、「青森ねぶた中止と今後の展望」をテーマに、5名で1時間余の議論をした。理論上、コロナ感染の可能性はゼロで、皆が一同に集まれる会場も不要、そこまでの移動時間と交通費も不要、利点の方が圧倒的に多かった。テレビ会議の内容は、同時録画してあり、今でも関係者だけが閲覧できるようにしてあるので、その時の議論の詳細を知ることができる。テレビ会議時代以前であれば、テレビ局にしかできなかったことが、市民団体でも同様のことが可能となった時代が、「今」だと確信した。従来のマスメディア主流の時代が、パーソナルメディアへの移行が、このコロナ禍、多くの人が気づかない中、静かに進行していると感じた。

 この後、「青森ねぶた中止と今後の展望」の2回目には、Zoomには不案内な千葉作龍ねぶた名人にWeb会議中継場においでいただき、貴重な提言をいただいた。この中での、千葉作龍ねぶた名人の発言部分は、YouTube配信(https://www.youtube.com/watch?v=WNnssBfkcQ0)してあり、多くの方々に視聴されている。奏海Web会議は、この後も続けられ、2021年9月9日現在で、延べ43回実施した。特に41回目には、87歳の会員がZoomerとしてデビューした。事前にマンツーマンでのZoomアプリの設定が導入の敷居を下げたものと考えられる。


 新聞やテレビなどのマスメディアの情報には余り関心を示さない若者達も、YouTubeを見ていない人がいないくらいの人気メディアである。情報をより多くの若者に届けたい市民団体としては、ここにチャンネルを設けない広報戦略はない。そこで「奏海市民講座」の名称で、主に青森市の歴史・文学資料などを取り上げて、インタビュー形式または講義形式で動画を作成し、YouTube配信した。第1回目は、2021年2月16日公開の「太宰治成績表発見!」(https://www.youtube.com/watch?v=nI5yJGW0DMk)で、すでに300回以上閲覧されている。

 第2回目以降のラインナップは、以下の通りである。2−太宰治「成績表」発見 その後、3−明治期以後の街並・建物・風景写真から見る青森-1、4−明治期以後の街並・建物・風景写真から見る青森-2、5−明治期以後の街並・建物・風景写真から見る青森-3、6−青森高校「三中の松」ってなあに?、7−「戦中・戦後の思1」。これまでは月例会で、出席者だけに披露されていた講演内容を録画し、YouTubeで公開しているので、コロナ禍以前とは比較にならないくらい、多くの人々に情報が届いている。そして確実に、この街の文化度向上への手応えを感じている。


 このほかに、スマートフォンで耳から気軽に青森市の歴史を若い人たちに親しんでもらおうと、「青森歴史チャンネル」(https://bit.ly/3yFN6fX)という音声だけの広報媒体を考えてみた。YouTubeがテレビだとしたら、こちらの音声チャンネルはラジオである。小さな市民団体が、その気になりさえすればテレビ局もラジオ局も自前で持てるという、人類史上初の時代なのだと気づいた。主な番組は、次の通りである。
1-日露戦争直後の青森ねぶた、4-油川の浜 武田三作、10-浜町の教会 武田三作、16-新町カフェー街 成田文雄、19-青森の顔ー国道通り 高杉正秋、25-電話練習なつかしの頃 松村慎三、32-寺山修司少年とあおもりの街 高木保、39-青森県の誕生とその産婆役1 盛田文雄、49-十和田観光道路はこうしてできた1 盛田文雄、53-富山の薬売り・活動写真 福島常作、63-暗い学校 千葉寿夫、70-操車場と古川跨線橋 福島常作、73-私と旭町通り 福島常作。2021年3月14日にスタートして、2021年7月4日現在で、73回耳からの青森市の歴史情報を伝えてきた。始めてからまだ5ヶ月余なので、最多の閲覧数のものでも114回と多くはない。しかし、青森市に住む若い人たちに歴史情報を伝えようとすれば、彼らの情報源であるインターネット上に情報を上げないことには何も伝わらない。種はできるだけたくさんまかないと芽が出ない。これからも愚直に継続していくつもりである。


 コロナ感染が拡大すると共に、奏海展示室への入館者数は激減していった。従来のままでは、コロナウイルスが撲滅されるまで手も足も出ないと感じたので、展示室での企画展開催だけでなく、外へ積極的に活動の場を求めることに方向転換した。その一つが青森市内の会場でのシンポジウム開催である。2021年5月16日(日)に青森県立図書館を会場に、シンポジウム「博物館と市民」を開催した。当日のプログラムは、以下のように進行した。
1.基調講演「博物館とは」成田 敏(元青森県立郷土館学芸課長)
2.発表
 ・「青森県立郷土館の沿革と現状」相馬信吉(奏海の会会長)
 ・「青森県立郷土館の将来像」室谷洋司(自然誌研究家)
 ・「青森市と公立登録博物館設置」今村 修(奏海庵主)
3.質疑応答(参加者とともに博物館のあり方を考える)


 コロナ感染拡大の中、会場参加者は30名弱と多くはなかったが、戦後、青森県内でこのようなタイトルのシンポジウムが開催された例は、管見では初めてである。これが青森県内での「私達の生活の中で博物館とはなにか?」を考える契機になってほしい。発表意見4本については、録画編集しYouTube配信(https://www.youtube.com/watch?v=BRxAaasJFVI  https://www.youtube.com/watch?v=9qb3DI4UC9Y https://www.youtube.com/watch?v=jizvL-zikQo  https://www.youtube.com/watch?v=J7FhETSL0sI)
していて、当日参加できなかった方に少しづつ視聴されている。

 現実社会でのシンポジウム参加となると、開催日時に会場へ来場できる条件を満たした人だけしか出席できない。しかし今回のように、実際の開催と並行して、発表を録画編集して著名な動画サイトで閲覧できるようにしておけば、最低限ネット環境さえ整えておけば、いつでもどこでも当日と同じ内容を見ることができる。これもコロナ禍での混沌とした時代が、必然的に市民団体への活動形態の変化を要求してきたことによる成果の一つであると認識できた。


 初めての企画の成功体験は、高齢者が会員の大半を占める市民団体の活動にも勢いを与える。2年連続中止となった青森ねぶた祭りが、コロナウイルス感染収束後にどのような形態で運営可能なのか、誰にも見通せない混沌とした時代となった。そこで今こそ、青森市民一人一人が青森ねぶたの原点に立ち返って、新時代の青森ねぶた運行のあり方を探る議論のきっかけとなってほしいとの思いから、2021年10月24日、青森市内を会場にシンポジウム「青森市民とねぶた」を企画した。基調講演は、青森ねぶたの歴史に詳しい成田敏さんにお願いした。その他、第5代ねぶた名人の千葉作龍さんには、名人のねぶたの原点となった昭和30年代のねぶたについて語ってもらう。地域ねぶたを復活させる活動に取り組んでいる後藤公司さんには、「高田ねぶた復活とその想い」を発表してもらう。特筆すべきは、地元の女子大生2名から、是非にシンポジウムで意見発表したいという申し出があったことである。どの分野でも伝統を次代へ如何にして繋げて行くか模索している中、若者からの申し出があり、コロナ後の青森ねぶた再開への光明となりそうである。

4.おわりにーコロナ禍の1年余の活動を通して見えてきたもの
 最後に、私が所属している二つの市民団体の1年余の実体験を通して見えてきたものを記して、まとめとする。
 ①正解の見えない時代では、ともかくなんにでもトライしてみるべきだと感じた。コロナウイルス感染拡大により、それまで普通にできていたものができなくなった。その対応策として、会員から色々なアイディアを募り、試行してみた。うまくいきそうなものが思い通り行かなかったり、難しそうだと思ってやってみると、意外とうまくいった。


 ②コロナウイルス感染を完全に押さえ込み、月例会に参加するために吹雪の中でバスを待つこともなく、雪道で転倒することも無く、交通費無料で開催できる方法として、ZoomなどのWeb会議システムを用意さえすれば、代替えできることがわかった。特に、これから更なる高齢化社会を迎えるに当たって、Web会議システムは高齢者にこそ必須の道具だと感じた。そのためには、行政などがより積極的に、機器操作講習会を開くなどして、その普及に努めるべきと感じた。


 ③前述した青森空襲証言朗読(215本)や青森歴史チャンネル(73本)には、音読が必須であった。研究者によると、音読の効果は次の5点あるという。1.気持ちが落ち着く2.やる気が出る3.ストレス解消4.脳の活性化5.誤嚥性肺炎の予防。私のような高齢者には、いいことずくめである。これもコロナ時代が気づかせてくれたことである。


 ④私がYouTubeに初めて動画を投稿したのは、2008年11月30日(https://www.youtube.com/watch?v=UQH1m8R38vQ)なので、57歳で、ユーチューバーになったことになる。それから13年間、愚直に750本余りを投稿してきた。コロナ時代になり、外に出て人と直接交わる機会が少なくなった今、動画にコメントをくれる若者も多くなり、残された人生の生きがいの一つになった。使用機材も安価となり、動画制作のソフトも使いやすくなっている現在、「シニアユーチューバー」育成が行政機関の高齢者向け生きがい事業の一つとなると確信している。


 このコロナ時代は、研究者によってはこれから10年近くも続くと予測されている。私たち市民一人一人は感染症の研究者ではないが、自分を命を守るために、自らアイディアを出し、小さなことでも試行して見るべき時代のまっただ中にいる。これからの10年間を生き抜き、コロナウイルス撲滅を達成した人類の姿を見届けたい。(2021年9月)