顔に火傷をした叔母さん

顔に火傷をした叔母さん

親戚の叔母さんの家は堤川河口付近の蜆貝町にあり、一家5人で漁師をしておりました。昭和20年7月28日は青森空襲がある日だと皆知っていたそうですが、家を焼かれても船で沖に逃げたら良いと思い、空襲警報が聞こえても誰も外へ逃げ出たりはしなかったそうです。

そうしているうちに小さな敵の飛行機が飛んで来て、止めておいた船に一斉に機銃掃射をして船に穴をあけられてしまったので使えなくなり、家に隠れていたそうですが、山手の方に落としたB29爆撃機の焼夷弾が風に乗って海側に落ちて来るのが見えたので、皆で床板を起こして床下の土台石にしがみついて避難をしたそうですが、焼夷弾は屋根を突き抜け、床板も突き抜け、土台石にしがみついていた叔母さんの顔の前に落ちて来て発火したので、叔母さんは顔に大やけどをしながら床下をはいずり出て別な所へ逃げたそうです。

その当時私達家族は浪岡に住んでいましたので、青森が焼けるのを見ておりましたが、父は親戚を助けに行かなくてはならないと言い出し、朝早くに馬に荷馬車をつけて青森に向かいました。青森についたのは昼を過ぎていたそうですが、それでも蜆貝町に行くと、やけどを負った叔母さんをはじめ親戚全員が生きて助かっておりましたので、すぐに皆を馬車に載せて浪岡まで連れて来たそうです。そして小さな小屋を建ててやり、やけどをした叔母さんはそこから藤崎町の有名な火傷を治してくれる病院に通い、傷跡もケロイド状態にならずに治って喜んでいたそうです。本当にもう駄目だと思い、怖かったそうですよ。(絵・聞き書き:張山喜隆/平成29年5月4日)