この写真は、青森市が大洪水に襲われた昭和44(1969)年8月24日に撮影されたものです。中央に見えるのは、青森市松原にある中央市民センターで、右隅に白く写っている建物は勤労青少年ホームです。
南方移転される前の旧東北本線上から、雲谷方面を撮ったもので、周囲が宅地化された現在、この光景を見ることはかないません。
勤労青少年ホームが完成したのは、同42(67)年7月31日です。3階建てで、上に行くほどせり出してくる、独自の設計です。内部階段壁の曲線は美しく、西から差す光が織りなす陰影は見る者を魅了します。青森市内では、これだけユニークな設計の建物は少ないかもしれません。
設計したのは、東大教授だった著名な建築家の生田勉です。「寡作の建築家」といわれ、日本中に残されている建物は多くありません。県内では他に、十和田市新渡戸記念館があるだけです。
生田の母親は旧蟹田町出身で、彼自身も青森市に立ち寄っていたようです。戦後、青森市から土地利用の指導を依頼され、そのような縁もあってか、勤労青少年ホームの設計者となります。
50年の時間の経過は、建物の劣化に現れています。貴重な建物であることの市民への啓蒙と保全に務めることが急務と思われます。
青森空襲により壊滅的な被害を受けた旧青森市には、歴史的資料はほとんど残っていないとよく聞かされます。しかし、「汝の立つ所を深く掘れ。そこには泉あり」(ニーチェ)という言葉のとおり、この街を丹念に調べていけば、先人たちが残してくれた「貴重な遺産」は見つかります。探そうとしないだけなのです。そして、それを後世に共に伝えていこうではありませんか。(青森まちかど歴史の庵「奏海」の会・相馬信吉)
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