青森ねぶた祭が現在のように全日程合同運行となったのは、昭和43年(1968年)からです。コースも国道・橋本〜古川間から新町へというものでした。また、青森県庁前の歩道に有料観覧席が設置されたのもこの年からです。
上の写真は昭和44年(1969)の七日日です。電話局(現NTTビル)を背に西進する、「まるは大洋」の「紅葉狩」(石谷進作)です。当時のねぶたは運行団体の慰安の意味合いが強く、専用の浴衣を与えられた関係者以外は参加しづらいものでした。跳人も囃子方も揃いの浴衣。花笠を被り、笛に合わせて跳ねている様子が良く分かります。
下の写真は昭和45年(1970)の七日日の国道です。金曜日午前中の運行にもかかわらず、大勢の跳人の花笠がゆれています。ねぶたは青森市役所の「項羽の馬投げ」で4代名人・鹿内一生の作品です。当時の最高賞「田村麿賞」に輝いた、師の代表作の一つです。左上の赤屋根の大きな建物は、旧県立中央病院です。昭和56(1981)年に東造道に移転し、跡地は現在“青い森公園”として市民の憩いの場となっています。(ねぶた師・竹浪比呂央)
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