平成23(2011)年3月11日に発生した東日本大震災と、それに関連して起こった福島第一原子力発電所事故について、緊急座談会が開催された。
と き 2011年5月30日
ところ 青森市堤町「花祥」
出 席 五十嵐正俊(3代)、五十嵐豊(6代)、棟方啓爾(6代)、徳差幸広(6代)、
小山内孝(顧問)、室谷洋司(10代)、山道忠郎(14代)、石郷岡總一郎(25代)
室谷(司会) 4月11日、棟方さんからメールがありました。「ここ数日考えているのですが、未曽有の大震災・原発事故を語り合う場があればいいな、世界大戦以来の大事件ですが個人で考えるよりも、お互いが意見交換をし、しっかりと記憶にと留めるのはもちろん、環境問題としても将来を見つめる必要があろうかと考えます。」
すぐ役員会のMLで皆さんの賛同、それでは何時?ということで、私はまだ頭のなかがカッカしている、感情を抑えるにはもう少し推移をみませんか、と。それで今日の座談会になりました。
棟方 3月11日の大震災、もう80日が経ちましたが、一般国民の大震災に関する感じ方・関心の内容をGoogleで検索してみました(5月30日)。検索項目別の件数です。
○東日本大震災:約 167,000,000 件、○問題:約 63,700,000 件、○感動:約 20,800,000 件、○貢献:約 7,500,000 件、○思想:約 6,160,000 件、○警告:約 3,670,000 件 、
○悲惨:約 2,370,000 件 、○教訓:約 2,170,000 件、○学ぶ:約1,310,000 件、
○惨状:約692,000 件。
この数字の見方はさまざまだと思います。私は、①1億7千万という関心の異常な高さ、②感動が悲惨の10倍、③教訓・学ぶが感動の10分1。国民性を示しているのかなと見ました。
わたくし自身が強く感じたのは、これまで国がやってきたことは矛盾だらけ、さまざまありますが、「やぶなべ会」ですから自然環境に与える悪影響ですね、生物であり食料にもつながります。われわれは戦争を体験しましたが、人間として東北人としてこれを教訓としていかに未来に伝えていくかです。
小山内 補足しますと、青森県では東通と大間に原発が稼働中とか工事計画中になっています。六ヶ所には日本原燃の核燃料サイクル施設があります。このような事情と「やぶなべ会」ですから、とくに自然環境について意見を出したらいかがでしょうか。
五十嵐(正俊) 地震発生後、いろいろインターネットで検索して見ました。今回の地震は予知されなかった地震であること、地震予知連絡会(地震防災対策地域判定会)の報告を見ても事前の具体的な情報は見当たらなかったのです。
ロバート・ゲラー東大教授、このひとは地震学の権威ですが、彼などは地震予知連絡会など意味がないから解散すべきだとの意見を発表しています。今後起こる可能性のある東・南海地方に注目し過ぎたミス・リードであるとも言っています。地震予知連でも地震の予知が出来ないことを認めています。
今回の地震はプレート境界付近で、幅約200km、長さ約500kmという非常に広範囲での破壊が連鎖反応的に発生したとのことで、M9.0とのことですが、未曽有の大津波を引き起こしました。その恐ろしい惨状は、テレビニュースのほか、Youtubeに投稿された数多くの動画で見ることが出来ました。
停電、暗黒、ラジオ、ワンセグ、買占め、異様
室谷 この80日はずいぶん長かった。ところが、今朝の地元紙を見ても「福島原発 年内収束は不可能」といった大見出しが躍っています。毎日毎日、不安要素が加わり被災者、被災地ではまったく先が見えず、口で言い表せないほどお気の毒です。言いにくいこともあるでしょうが、先に向けてと言うことでお願いします。私たちの多くは第二次世界大戦を経験したとか、幼少時で感じた世代です。その後も十勝沖地震とか、さまざまありました。ですが、歴史にとどめられている平安時代の貞観(ジョウカン)大地震・大津波のような1千年以上に1回しか起きないような大震災をこの生身で感じてしまいました。その場に居合わせてしまいました。
皆さんは、そのときどうだったのか、今なにを感じているのか、この辺からお願いします。
小山内 すぐ停電になったでしょう。間もなく回復すると思いました。もう一つ、青森県ではあの程度の地震は大したことではないと。ところがいくら待っても電気がこない、私は保育園をやっていて次の日の土曜日も子供達は来ます。古い暖房器具は全部処分してしまっていて、長引けば子供達を寒いところにおくことになります。県とか市に電話をしてもまったく通じません。それと、この後、給食の食料が入らなくなって困りました。県とか市の防災体制はどうなっているのか、つくずく思いました。
五十嵐(豊) 皆さんは電気だけでしょう。油川は水が出ませんでした。青森の防災はなっていないと、水道はポンプであげているのです。万が一を考えて補助の電源を考えていなかったのです。直感的にこれはまずい、あるだけのバケツに全部、チョチョロの水を溜めました。案の定、水道は止まりました。油川は遠いところだから、と市は適当に考えていたのでしょうが。電気の復旧だって翌日の午後4時頃ですよ。ストーブはアラジンがひとつ残っていて、ちゃんとついて助かりました。
室谷 桜川は午後1時に電気がきました。県庁とか県病あたりは早かったのでしょう。復旧に地域を選別していたという話があります。
棟方 私は、あまり不満がなく、きわめて早い段階で電気はつきました。長島は10時ですね。
徳差 筒井も10時でした。
棟方 私は物好きなものですから町に出ました。国道4号、7号はちゃんと信号がついていました。海に近づくなと言っていましたが、行きました。異様! 船はまったくいない、八甲田丸だけがポツンとありました。全部、沖に出てしまったのです。
五十嵐(豊) 津波は来ましたか? 野内川とか。
棟方 いや、海はちょっと波が目だっていた程度です。十勝沖地震のときとは全然違いました。青森湾は大したことはなかったが、ハッと思ったのが小山内さんが日頃、よく口を酸っぱくして言っていること、これだな、とうとう起きてしまったな、と思いました。
徳差 これまで停電しても2、3時間も待てば復旧するというのが常識でしょう。しかし今回は違いました。後で分かって全く深刻な状況だったわけですが、あの夜、非常時に備えてロウソクだけは準備していました。懐中電灯はいつも手にとれるとろにありましたが、普段使用していないので電池切れ。確か昔買った装飾用のランプがあったはずと探しました。30年前のすごくアンティークなものがつきました。昔の話ですが、風が吹けば停電、しょっちゅうでした。そのまったくの静けさ、家内とこういう生活も良いな、と話していました。暖房は古い石油ストーブを今でも寒いとき朝晩使っていましたので間に合いました。
棟方 暖房など皆んなと違って格段、優雅な夜でした。野営の道具を全部出してきて、暗闇もヘッドライトでしょう、家内と笑って過ごしたわけ。家内は戦時中のことは分からない、魚の脂でこうやってとか、炊飯だってガスなんかいらないし。皆さんもそうだったと思いますが、一番の問題は子供達との連絡でした。長男は埼玉、次男はあの宮城の多賀城です。家内は電話で必死でした。
五十嵐(豊) うちの長男は仙台の太白でした。大変だったようです。
山道 家に帰ったらアレ! テレビがつかない、そこから始まりました。長引きそうだったのでとにかく懐中電灯をと近所の店に行ったら、もちろんあるはずがありません、もう空っぽ。登山用のヘッドライトが二つあったので助かりました。電気はキャンプ用のもので一晩は大丈夫でした。古いストーブはダメで分解して直そうとしましたが、使えるようになったのは翌日で電気も復旧しました。
棟方 灯りなど不便がありましたが、問題だったのは食料の買い占めですね。あれって何んですか。
小山内 食べものを買いにいかなければと言ったら、ワイフにそんなサモシイことは止めなさいと言われました。サモシイなんて言われたことは初めてですよ。
徳差 そう、翌日の朝10時頃に電気がついて、買う物があって桜川のスーパーに行きました。ここはまだついていない、入口からずっと並んでいました。結局、停電でレジがダメなものですから店員が一人ずつ入れてついて歩いて客が欲しいものをメモしてカウンターで電卓で計算するわけです。時間がかかる、せっかく来たので私もがまんして並んで様子を見ていました。
年配のひとがいて、恐らく戦時中を経験しているはずですが、トイレットペーパーを三つも四つも抱えていました。そばに見知らぬ女のひとがいて、どういうことなんでしょうねと二人で話しました、「戦争前夜みたいだ」と。我もわれもと人間のエゴ丸出しの姿を目のあたりにしたのです。
山道 食べものもそうですね。私は必要なものを買いに行きましたが、何でも買っているひとがいましたね。
五十嵐(正俊) そう、あっという間にスーパーの棚からモノがなくなりました。あのとき私はちょうど車を運転していて家まで数百メートル、緊急警報が鳴って着いたらグラグラすごい揺れでした。近所の奥さんが出て来て電気も全部消えてしまいましたよ、と言いました。テレビもないし電話も通じない。携帯ラジオで聴いたが映像がないからまったく役にたたない。津波が来たのは分かったがどの程度なのか、まったく役立たずです。
山道 私はケイタイのワンセグで見ていました、これ大変とビックリしました。
五十嵐(正俊) それで、私は家内と二人でしたが、隣の奥さんがこういう時ですから一緒にウチにきて過ごしましょうよ、と言ってくれました。色々と昔のことなど話しました。隣のダンナとストーブを買いに行こうということになりました。もうある筈がありません。信号などまったく消えて異様でした。
小山内 それです。市役所などに用事があって車で行ったら新城駅のところが遮断機が下りたまま、こっちもあっちも車がずっと並んでいました。いつ上がるかもわかりません。グルッと遠回りして用事をたしてきました。帰りにまたそこを見ましたら遮断機をくぐって人が歩いている。これを上げない方もおかしいし、もう規則なんかなくなっていました。
絆、電話不通、安否、「オール電化」の落とし穴、異常現象
室谷 人間というのは、今まで生きてきて、その間にさまざまな障害とか自分にとって思わしくないことがあったと思います。喧嘩をしたり大きいのは国どうしの戦争です。そうなるとルールとか決め事などは通用しません。自分さえ良ければ良いということになります。
八戸なんかは大変、三陸に面したところは絶句!ですが、青森の方は油川はちょっと水が出なかった、ですが多くは電気ぐらいだったと思います。もちろんこの後、大変なことになりますが。私の場合、一つは発生時、会社にいました。大揺れで5分はありましたがモノが落ちたとかはありませんでした。すぐ停電、放送局ですから数十秒で自家発電がまわってテレビは回復です。その後、テレビで何度も緊急地震警報があって数秒すると青森に揺れがくる、仙台空港が津波に襲われる、そういった生映像をずっと見ていました。初めにすぐウチに電話して家内におおざっぱなことを知らせました。東京に長男がいて、やはりテレビで知ってすぐ家内に電話、それで家内はもう知っていました。この直後から電話はずっと不通になります。
つぎに、夕方になって帰宅、反射式のストーブを探してきて、懐中電灯、電池などをかき集めました。次男、長女が会社から帰ってきました。これで一家4人です。やはりロウソクを灯し携帯ラジオを囲んで、これが翌日の電気復旧まで続きました。テレビやラジオで「絆・きずな」が大はやりですが、居間の一室にまとまって、いつもはバラバラの家族が絆を味わったのではないかと思います。五十嵐さんは、ラジオは役立たずと言いましたが、今回の大震災で被災地ではメーカーや放送局から贈られたラジオが唯一の情報源として再認識されたはずです。ケイタイのワンセグですが電池があれば簡単な充電器があり、娘はこれをずっと見ていました。
三つ目は弟が宮城の岩沼に住んでいて、まったく連絡がつかない。4日ほどして、神戸にいる妹に彼から電話が行きました。妹から青森に無事の連絡があって、私はそろそろ仙台経由で岩沼までの交通手段を考え始めていたのですが、これでホッとしました。
小山内 ワイフも南相馬に大学時代の友だちがいて何日も電話をかけていましたが全然通じません。居所が分かったのは5月に入ってからで、山形に避難していました。
山道 私の姉は宮城の美里町にいます。深度7で家がメチャクチャになりました。8日間、電話が通じませんでした。弟は福島の郡山市に住んでいますが、ケイタイのメールで連絡できましたが、姉とはずっと連絡とれずにいました。
五十嵐(正俊) 今の電話はファックスなどが付いていて電気がないとダメです。安田にいる姉のところはずっと黒電話を使っていて通じました。電気を使うものはまったくダメでした。
棟方 パソコンもまったく頼りになりません。ラジオが一番で、1階、2階と持ち歩き枕元でつけっぱなしでした。
室谷 さっきの続きですが、会社の同僚が春にオール電化の家を建てました。地震の日から土曜、日曜があって月曜に会社に出て、あなたはオール電化で快適だったでしょうと尋ねました。最新の電化住宅なので蓄電も付いていたと思ったのです。ところがそれは大分割高になるのだそうでカット、3日間、奥さんと布団にくるまってじっとしていたそうです、古い機器は全部捨ててしまって。助かったのは神戸のとき付き合いで買った防災グッズがあって、ご飯も食べることができたとニヤッと笑っていました。
岩沼の弟ですが、そのあと本人と電話が通じました。彼いわく「政権が民主に代わったが何も変化なし。こんどの大震災でようやく日本が変わるのではないか」。妙に良い言葉をはくなと感心しました。これが、今日の結論の方につながるのでは、と思っています。
石郷岡 これは科学的な証明が難しいことですが、生き物たちの異常現象がありました。前の中越地震が起こっている時間帯に「森の広場」(青森市新城)にいました。その時、やたらカラスが多く野球場の地面のあちらこちらで、落ち着きなく動き回っていました。その時点では何でこんなにカラスが多いんだろうか、と感じていましたが、帰宅後中越地震が起きていたことを知り、いわゆる「動物の異常活動」と関係があるのかと思いました。
今年の3月上旬ないし2月末頃、問屋町の会社前にいつもよりはるかに多いカラスがたむろしていました。「森の広場」の経験を思い出し、また大地震が来なければ良いなぁと気にしていましたが、3月11日の巨大地震です。何らかの関係があるのでしょうか?
大震災後、東奥日報に「ナマズが異常に取れた」という記事が載っていました。細かく観察していけば、同様の事例が見つかるのかもしれません。いわゆる地震予知には直接には結びつかないでしょうが、大地震の予兆現象を見つけるためのヒントになるかもしれません。もう一つ、思い出したことがあります。もう10年以上も前のことなので詳細は忘れてましたが、いわゆる「地震雲」らしい気象現象を見たことがあります。その時も、後に地震が起きたと記憶しています。
歴史無視、とんでもない「想定外」、民主主義の崩壊
室谷 きょうは「やぶなべ会」の座談会です。生物、環境、食料など生きるために多くの問題があらわになりました。大津波、原発事故などと、とくに原発は気の遠くなるような問題です。
五十嵐(正俊) さっきの869年の貞観大地震ですね。産業技術総合研究所の活断層研究センターの岡村行信センター長が2年前(2009)の通産省の原発審議会で、部下の宍倉正展博士の研究をもとに詳しく発言しています。これはM8.2以上と推定され大変な被害をもたらしたものですが東京電力と保安院は、歴史上の地震で通説でないと退けてしまいました。今日の地元紙の夕刊にも出ていますが東北電力の元常務が言っていますね。女川原発2号機の増設調査でも1990年に、津波が残した砂の痕跡から海岸線から3キロも内陸まで浸水していたことがわかっていたようです。このほか貞観地震については東北大学の数値シミュレーションの論文もありますが、議論の場にあがりましたが検討の対象にならず、歴史上の地震ということで無視されてしまったということです。
小山内 審議会の委員というのは圧倒的に原発推進派で固められています。色々な問題提起がなされますがほとんど取り上げられません。組織自体が無視してしまう体制になっています。
五十嵐(豊) 無視されていなかったら防災体制がもっと強固にできていたということですか。
五十嵐(正俊) 岡村センター長の発言は2009年6月の審議会ですから、2年位の余裕があってそのとき何らかの対策をとっていれば間に合ったのかも知れません。
室谷 たとえば防潮堤を10m以上に上げたとしても今回の大津波では防げなかったでしょう。今回の大震災では、これまで地震学者というかたがたが各自治体のアドバイザーになってハザードマップとか、退避場所、退避ビルなどを決めたり作ったりしましたが、結果はあの通りです。読みというか配慮が甘かったと現地でお詫びしたり、逃げてしまったひともいたようです。ほとんどがこの調子で、先人が伝えてきたこと、歴史の警鐘は軽んじられてしまいました。
大震災が起きたとき、国とか当局はこぞって「想定外」だったと責任逃れの発言を連発していました。マスコミもそのまま踊らされていました。ところが最近はこの言葉は出てきませんね、恥ずかしくて。多くのことが明るみなって、もはや死語になってしまいました。
小山内 石橋克彦さんが1998年に国会に呼ばれて50分間、証言しました。必ずこういうことが起きると言ったのです。かいつまんで言うと、日本の地震は活動期に入り、これまでの状況とはまったく違ってきた。今までの地震と違って三つのタイプになり災害対応もそれに応じたものになる。「長周期地震で揺れが長く激しい」、「原発震災型」、「揺れの規模が大きい広域複合大震災」など。これからの震災はこれらに対応しなければならないので、大変です。
五十嵐(豊) そうであれば、ある意味では対策は不可能ということですか。とにかくコストがかかる、日本全体を防潮堤で囲んでしまうということになる。あの田老の防潮堤、万里の長城と言われるものを何度も見てきましたが、今までの津波を考えて10mのものを作ったのです。それが何にも役に立たなかった。
室谷 役に立たなかったということではなくて、ある程度はふんばって被害を緩和したということにはなるでしょう。
五十嵐(豊) これがなかったらもっとひどくいった。被害がもっと広範囲になったでしょう。
棟方 この辺が非常に大事です。原発に限っていうと、ここをキチンとやっていれば原発の非常電源は確保できたはずです。その配置を考えるとかで致命的な欠陥は防げたはずです。この場合、防波堤などはどうでもいい、もっと停電を防ぐためにどうするとか、それは可能でしょう。
室谷 それはずっと範囲をせばめた対応、原発事故の方についてですね。
棟方 そう、全体の防波堤は別として、このような大きな命取りになる設備への対応には十分な時間があったはずです。原発事故だけではなく、津波にしても避難道をそれに合わせて考えるとか、やることがいっぱいあったはずです。さっきの話ですが、国会が提言を受けていれば数万人の死者や行方不明者のうち相当のひとが助かっています。これから問われなければならないことは、なぜこの大事なことが通らなかったのか、これは日本には民主主義があるのか、ということになります。
徳差 テレビである学者が言っていました。被害にあったところは縄文時代には海、いったん何かがあるとそこはすぐ波をかぶってしまう。歴史のなかで人間はそこに家を建ててきましたが、人間が住むところではなかったのだと・・・・。
小山内 原発事故ですが、原子炉は5重もの壁で防いでいると言っていますが、その最後の壁と言われる建屋までやられてしまいました。厚さが1m20㎝もあると言われています。底の方は2m近くある。しかしこれが防壁にはならなかった、悲しいことです。
生物は? 放射線、濃縮、食物連鎖、 環境は?
棟方 「やぶなべ」的な話にしましょう。青森県の生物にどういう影響がありますか、シロウトですから良く分からないところがあります。陸奥湾というのは海水の循環が良くないとか言われていますね、閉鎖されていますから。
小山内 津波についてですが、あの後、2回八戸の方へ行ってきました。1回目は4月11日で、科学者会議で田圃の生物の話をしてくれと言われて、そのとき蕪島を見てきました。八戸の大学の女性教授が案内してくれて、もう植生調査に入っていました。ロープを張って一定の範囲の植物の生育状態を何カ所かに分けて見ていました。どういう植物がどのように生えているのか、これから追跡するのでしょう。ところがほとんど影響がないらしいのです。(写真1)
2回目は5月に入って「草と木の会」で種差に行ってきました。ここは最高で9mほどの津波にさらわれたところですが、黒土などが露出していて外来種が流されてしまっていました。ところがサクラソウとかシロバナエンレイソウなど在来の自生植物が残っていて、盛んに花を咲かせていました。もともとあった根の深い在来種が、外来種が流されたので目だってきた、ということかも知れません。(写真2)
室谷 目だってきたのでしょうね。これから継続して調べていけば貴重な仕事になりますね。
五十嵐(正俊) 従来から海岸にあった植物は、しょっちゅう潮流などの影響をうけると過酷な状態にあるので強いということでしょう。
棟方 多年草で、しかも根が深いから。長期間、見ていかないと。これは津波の功罪の良い方でしょうか。
ただ、さっき言った陸奥湾の生物については答えになっていません。あの放射線が検出されたコウナゴですが、私は大好きです。山に行くときも口が淋しくなるとよく食べる。ところがこれが最近入ってこないのです。風評被害のためです。あれは海の表層で生活しているので真っ先にやられています。
徳差 コウナゴという海の生き物が問題になりましたが、あれは放射線がいったん南の方に拡散しましたね。それが黒潮に乗るということが考えられ、ということは北の方にもやがて来るということになります。陸奥湾も安閑とはしておれません。
山道 陸奥湾の場合は日本海の海流が入って来ますから、当面の影響はないと思います。
徳差 東通に原発をつくるとき、関係自治体は、いわゆる原発交付金の恩恵に浴し、ある新聞はこれを「毒まんじゅう」と書きましたが、これで賛成したための誘致だったんですよ。ところが原発には温排水がつきものです、海に放流される。影響を受ける岩手県の漁民はこぞって反対した経緯があるんです。ズバリの影響が現在進行しているのです。
室谷 コウナゴですが、それ自体は一定の地域だとしても、それを食べる魚、どんどん大きいものが食べていきますね、食物連鎖です。だんだん濃縮されていきます。回遊魚も出てきます。ヨウ素は減っていったとしてもセシュームとなると半減期は気が遠くなるほどです。中国の長江を2泊3日で下ったことがあります。ご存じのようにこの国は公害物質が垂れ流し。ここで生活した魚がアラスカで捕れて有害物質が検出されたという事例がありました。魚は海を回遊などして泳ぎ回るので大変です。
小山内 生物濃縮はすぐ問題になってきますよ。放射線の影響について柳澤桂子氏が「いのちと放射能」(ちくま文庫、2007年)という本を書いています。紫外線や放射線を避けて海での生活をしていた生物が陸上に上がったのは約4億年前で、現在の私たちの祖先は20万年の歴史しかありません。また、小さい生物がもっとも放射線の影響を受けやすい。扁形動物のプラナリアなんかは人間が影響を受け始める千分の一で体が崩壊してしまいます。脊椎動物でもメダカがその程度で分解してしまうそうです。このようなことはほとんど無視されています。線量の影響についても人間中心の決め方をしています。恐ろしい、怖いことです。
棟方 これは大事なことです。結局は人間のおごりですね。知らず知らずのうちに基準を人間においていますが、ほかの生き物などもっと総合的に考えていかないと大変なことになります。
五十嵐(正俊) 線量が何千倍、何万倍という濃縮がなされていきますよ。これが目に見えないところで進んでいるのです。原発北約400m、沖合約5kmで海底の調査も報告されていますが(5月6日)、セシューム134が80.2ベクレル、セシューム137が93.9ベクレル検出されています。すでに報告されているコウナゴのほか、底性魚介類でも濃縮される可能性があると思います。
山道 農薬もそうですよ。微量でも最初はプランクトンの餌になり、それを食べるほかのものがダメになっていきます。
政治家無能? マスコミの問題点
室谷 専門家はさまざまな結果を出しています。ところがそういう研究を行政が咀嚼できていない。政治家にいたっては何を考えているのかさっぱり分かりません。国のためなんて言っていますが、自分たちの損得でものごとを判断しています。このような大事な研究成果を、何かもっと良いアピールの方法がないものでしょうか。
棟方 この国の体制そのものが、これらを消してしまっています。そういうものが出来るだけ話題にならないような方向にもっていく。今のメディアはそれに立ち向かうようなことはほとんどやっていません。良識が一般の世論に移行する前に流されていってしまう。日本は一見、民主主義を装っていますが実際は民主主義ではない。
徳差 国民が知らなければならないものが伝わっていません。その最大の原因はマスコミにあると思います。21世紀臨調というのがあって、これには各界の有識者やマスコミのお偉方が名前を連ねていますが、これは原発に限らず結局は時の政府が進めていこうとする方向に議論を進めていきました。中身をみるとできるだけ国民が分からないように、また真実を教えないようにしているように思えました。私にはそのように読めたものですから、地元紙のこれらの記事は、中央の記事配信社がつくったものをおそらくノーチェックで載せたことは明らかですが、地元紙に抗議しました。キチンと答えなかったものですから、反体制を貫こうというその地元紙の創業の精神まで話して、抗議したことがあります。
室谷 マスコミに関わっているので耳が痛いことです。新聞に限らずテレビとかの放送も同じように見解の異なる記事とか番組とかが少なくないでしょう。マスコミ界でも自浄作用とかずっと前からよく言われていることですが、またそれは先輩たちの嘆きの一つにもなっていることですが、記者クラブという排他的な組織があって、体制側とのなれ合いがなきにしもあらずということです。これは記者たちには非常に便利な制度です。取材される側があらかじめ報道しやすいような資料を用意して、記者たちはそれをもとにやりとりして記事になるという仕組みです。なかにはそれにアグラをかいているひとがいるということです。新聞、放送ともに各社ともずいぶん似たりよったり、同じだなと思うでしょう。それは、このためです。
この歳になると多くの若いひとと関わってきました。指導する立場にもなりました。一番最初に言うことは、会社は人員的に限られていますので取材は何でもしなければなりませんが、自分でなければ出来ない、自分が一番という分野をいくつかもちなさいということです。例えば青森県であれば、農業、水産、自然、観光、縄文、そして原子力と言ったキーワードが出てきます。この一つか二つを自分の得意分野として積み重ねていけば、きっと役立ちますよ、と。
棟方 八甲田山について電話で取材してくる記者がいます。自然について電話取材ですよ。これでは記者でないですよ。そういう世の中になってしまいました。
モニタリング強化、八甲田山は「水がめ」、問われる県行政
棟方 話題を変えます。陸奥湾ですが、海流では今回の事故はあまり影響が出ないのではないかと思います。ただ、長い目で見ると心配なのはプランクトンですね。これが第一歩でイワシが食べて、カツオが食べてつぎつぎと連鎖していきます。コウナゴがないと口淋しいが、もう歳も70を過ぎたから別にどうのこうのありません。
つぎに問題にしたいのは山です。各地で色々と放射線が確認されています。山といったのは、陸奥湾はほとんどが八甲田山の伏流水が流れ込んでいると言われます。今のところ八甲田山は何もいわれていませんが観測態勢をキチンとしなければ大変なことになります。現在、山岳地帯としては観測はやっていないようです。山というのは地形が複雑で気流の流れも単純ではありません。地域的にまとまって運ばれる可能性があります。
室谷 今回の福島の場合、原発サイトから10㎞とか20㎞とかの同心円を描いて設定しましたね。ところが北西寄りの飯舘村の方に汚染が伸びていっていることが分かりました。あの辺は昆虫の分布調査でよく歩きましたが、阿武隈山地というのは複雑な地形になっています。やっぱりと思いました。政府もその下にいる専門家グループも考え方が単純過ぎます、これは分かり切ったことでしょう。
棟方 青森県の場合は、神経質になる必要はありませんが観測態勢を強化すべきです。八甲田山は青森市など西側、さらに東側の地域の集水域になります。それが陸奥湾とか太平洋に流れ込みます。ホタテとかさまざまな海産物に影響が出てきますね。もちろん岩木山周辺も考えなければなりません。
徳差 各県でモニタリングポストを設けてデータを公表していますが、青森県の場合、六ヶ所とか東通などに重点的においていますが、もちろんこれは必要です。ただ福島の場合は神奈川とか、かけ離れたところにも高濃度のところが出てきています。この辺を考えて観測地点を決める必要があります。
もうひとつ、これらのモニタリングポストは地面の放射線量や人間の目線の高さなどで線量を計測する視点で設置していないと言われています。六ヶ所や東通ではどうなっているか分かりませんが。なぜかというと、日本国内で放射能事故などあり得ないという思い込みに起因しているとも言われています。目的は外国での事故対策として日本での影響を計測するという位置づけのようです。まったくとんでもない「意図的勘違い」です。即刻、きめ細かいモニタリング設置とリアルタイムでの線量を開示するということが、今求められていると思います。
五十嵐(正俊) 放射線レベルが、ミリシーベルト程度で「今、直ちに・・・・・」という発言が繰り返されましが、板野官房長官の発表は「現場→東電→保安院」などからの「又聞き情報」に過ぎないのです。現場も見ていない者の発言では、全く信用できませんでした。また、同心円の危険区域とSPEEDIの記録が大きく食い違っていたことも明らかになってきましたね。
石郷岡 報道からの情報ですが、公開されている放射線量は、ほとんど「点のデータ」に見えます。実際の影響を受けるのは、面というか立体方向ですね。その場合の放射線量はどうなるのでしょう?
子供への影響調査と言うことで、学校の校庭や公園などの放射線量が調べられているようです。放射性物質は風向きやその他の要因で、多少の濃度差はあったとしても、校庭だけではなく、道路や屋根などにも降り注いでいるはずです。これらの影響はどう評価すれば良いのでしょう? 人間に直接関わる食料や飲料水に関しては、万全ではないがその放射線量が調べられているようです。川のウグイが暫定基準値を大幅に超えたので漁協に自粛要請したとか。生物の視点から見ると、放射線に耐性が高いものもあるでしょうし低いものもあるでしょう。耐性が低い生物が死滅ないしは異常を起こすことで、環境が変化する可能性がないものか、また、次世代が正常な成長・繁殖が出来るものか心配です。
棟方 そう、さまざまなことを考えなければなりません。植物でヤナギランというのがありますが、あのタネはジェット気流に乗って地球を何周もするそうです。それで山火事などがあると、そこを好むものだからはびこることになります。アラスカのヤナギランもシベリアのものも同じ種類だそうです、そのせいで・・・・。上空には絶えず気流があるからで、黄砂もそうでしょう。
小山内 青森県は本当に環境ということに配慮していません。核燃サイクルで言うと鷹架沼の淡水化のことがあります。あれは、もとは汽水でした。ところが海水の流入を止めてしまいました。付近の飲み水とかの用水ではなく産業に使う水が足りないということです、老部川からでは間に合わないものですから。このため絶滅してしまったのがタカホコシラトリという二枚貝です。ここが原産地で、尾駮沼にも少しはいますが。それから尾駮沼の沼ニシンと言われる希少種も少なくなってしまいましたね。
室谷 これについて誰も問題にしなかったのですか。それぞれの所轄になる経済産業省と環境省の進むべき方向が完全にぶつかり合って、国策なので環境省が何も言えなかったと言うことでしょう。
小山内 沼ニシンもタカホコシラトリも県に何回か申し入れました。それから環境アセスがまったく機能していないのです。原発も再処理も環境問題は完全に無視でやられてしまいました。
これよりも大きいのが大間です。ここには寒流系と暖流系の海藻が、約250種が生育しています。今でも温暖化で沿岸部の生物が少なくなっているのですが、とくに海藻類が少なくなっています。原発が海水温より7℃も高い温排水を流すと致命的になりますね。県の機関で実地調査が行われています。青森総合水産試験場にドクターをもった海藻の専門家がいて、彼と4回ほど会って海藻の話を聞きましたがどんどん少なくなっています。対策などが全然ないのです。
棟方 アマモなどはどうなっていますか。昔はどこにでもいっぱいありましたね。沖館の海岸などで泳ぐときに足にいっぱいからみついて困ったほどです。
小山内 コンブ、フノリなども少なくなってしまっています。アマモは陸奥湾全体で減少し、これは温暖化の影響が大きいと思います。とにかくこの辺の海は海草の研究が完全に穴になっています。東北大学の臨海試験所では動物中心になっています。そういう意味では、あそこの欠陥になると思います。
大間ですが、原発ができれば温排水がゴウゴウと流れて、事故になればさらに人命に関わることになります。その辺の意識がまったくないということになります。
山道 磯場というのは海藻がいっぱいあって魚が産卵したり小魚が育つところです。このような環境がどんどん消えていっています。
室谷 東北大学の研究機関ですが、青森県に二つ設置されましたが、これは異例のことで生物学に大きな貢献をしたと思います。ただ青森県という産業振興の観点から出来たものではないですね。植物分野は八甲田山の酸ヶ湯に高山植物の生態研究の拠点があって、そういうことから浅虫での植物系は手薄になります。さっきの茂浦の県の機関ですが、県としての考え方がアンバランスだったと言うことでしょう
棟方 なんとも馬鹿な知事がいましたね。青森市上磯の海岸をぐるりとコンクリートで囲ってしまいました、砂浜も消えてしまいました。あの岩木山をグルリと囲むように、どこのものか分からないオオヤマザクラを植えまくって「ネックレスロード」などと言っています。これらは一部に金が行き渡れば良いということだけで青森県独自の自然、景観を台無しにしてしまっています。
五十嵐(正俊) 海岸をそのようにして魚のすみかをなくしたのが自分の業績だとのたまっています。波から防ぐことができるからと。
五十嵐(豊) 削り取られる土地をずいぶん増やしたということはあります。油川あたりもそうですが、ずいぶん広くなりました。しかしそこに工場誘致などまったくありません。
棟方 話がずれてしまいましたが、八甲田山は水ガメの働きをしています。放射線のモニタリングはキチンとやられなければなりませんし、福島に始まっていま身近な問題になっている青森県の原子力施設の是非についても考えなければなりません。
小山内 東通には原発4つ作る予定でしたが、出来たのは東北電力の1基です。これに東京電力が2基、東北の1基の追加です。ところが今回のことを考え合わせても放射線対策がなっていないのです。すでにある東北電力は対策をやり直し始めています。このあと東京と東北がつぎつぎと対応をすることになりますが相当の困難をともなうでしょう。大間は別の事業体ですが同じことになります。原発はこれまでの実績から、うまくいって33%の発電効率だと言われています。さらに何か問題が起こると大変なリスクをともないます。それを考えると発電に要する費用は簡単に計算できないほど巨額なものになります。
室谷 太陽とか風、水とかがありますが原子力分を埋めることは大変なことになるでしょう。
小山内 それら自然エネルギーに、いかにお金を投資していくかです。青森県はいま電力の供給県になっています。県としては間に合っています。ほかの地域というか中央のためにリスクをおかしているのです。
徳差 ずいぶん昔からの話になりますが、久栗坂の建設会社が太陽パネルで床暖をやりポカポカというのがありました。太陽光は北国ではダメと言われますがパネルの数を増やせば良いということです。
ソフトバンクの孫正義さんが、日本全国の休耕田は全土の2%あるそうで、ここで太陽光をやれば5千万キロワットができると言っています。原発の40基分に相当します。日本の原発は54基ですが17基より動いていません。それと、今年はこれからの対応ですが夏場の節電問題であらゆる方法を考えていくことによって、産業面でも暮らしでもこれまでのペースを落とさないでもすむのではないでしょうか。いや、そう取り組んでいく必要があります。地熱発電もありますね。
棟方 潮流発電もあります。
大電力から小電力集積、小学副読本の問題点
室谷 地熱は公害とか、温泉地で湯が出なくなったとか問題点がありますね。孫さんの休耕田の話ですが、これは説得力のあるたとえ話でしょう。せっかく受け継いできた農地は大切です。日本の農業のありかたはまったく未熟で、食料の自給率が少なすぎます。外国に頼り切っているという大きな課題があります。それに景観上からも集中というのは好ましくありません。渡り鳥などの命取りにもなります。すべてのものとの調和は難しいことですが、さまざまな組み合わせが必要ではないでしょうか。
小山内 研究とか投資とかでさまざま考えられます。すべてがうまくいかないでしょう。ただ、これからは地域の小さい発電システムがいっぱい出てきて、地域の産業を創出して人材を育てていくことではないでしょうか。
実は、おととい小学の孫が学校から2冊の副読本というか冊子が配られていて、ここにもってきました。「みんなのくらしをささえている あおもり県の電気」(平成23年度版、青森県、写真3)と、「パワンファミリーの あおもりエネルギーカレンダー」(2011、Aomori Energy、写真4)というものです。最初の方は平成22年度広報・安全等交付金で発行部署は青森県エネルギー総合対策局原子力立地対策課、執筆は県内小学校の校長とか教員です。何年何組・名前という書き込み欄もあり明らかに副読本です。後の方も発行母体は同じで、企画・編集は同じ課内の広報企画グループです。勉強部屋なのか居間に掲げるようになっています。
ここで問題なのは青森県の電気の話を分かりやすく説明していますが、参考資料として「地球温暖化」を掲げ、あきらかに本命は「原子力発電と原子燃料サイクル」の内容にシフトされていることです。さらに危険とか核廃棄物をどうするかにつてはどこにも解説されていません。子供たちに数日前に渡して持ち帰らせたということです。これを見た父兄とか家族はどう思ったでしょうか。
教育は中立の立場で物事を考え、子供たちの未来がどうしたら明るくなるのか、大人はこれに責任を感じなければならないのです。我々は死に行く世代です。そして、教育と言うのは、危険は教える必要があるが安全は教える必要がないと言うことです。
棟方 これは一番大事なことです。県のこういう行政はダメです。この時期に県が危険を訴えないとはとんでもないことです。この作成に関わっているのはすべてひも付きのお金でしょう。これは済まされないことです。議会も何をやっているのか。
室谷 今回の大震災とそれから波及した原発事故とその悲惨さは、子供たちも知っていることでしょう。親御さんも色々とことの次第を教えているでしょう。ここに学校教育の先輩がいらっしゃいますが、こういう副読本に関しての学習指導要領はどうなっていますか。
山道 小学校のことは分かりません。多分、手渡して終わりではないでしょうか。中学で教職にあったときは科学の進歩で便利になることはいっぱいありますが、必ずマイナス面があることを教えました。リスクがつきものです。チィルノブイリもありましたね。
小山内 日本の場合は、原発の先例の多くはフランスです。一般人とか高校生とかを金を出して研修と称してずいぶん向こうにやっています。ところが大きな落とし穴があります。フランスには地震がないのです。西ヨーロッパというのは、自然が割合安定しているのです。それで、このような副読本の場合は、危険を教える大きなチャンスだと思います、先生が問題を理解して話すことができれば良いのですが。実際には期待はできませんね。
五十嵐(豊) 我々が軍国少年になったように、学校の先生は一番です。親がいくら話しても耳を貸しませんが、先生だと一番です。
棟方 実際、これを渡してこれ全部間違っていますと言える先生はいないでしょうね。だから問題なのです。
室谷 そうなると、とくに今回は福島の事故があまりにも大きいわけで、それを踏まえたリスク編の副読本ということになりますか。ただひも付きの金は出ませんので、あくまでも県が教育というか安心・安全を確保するにはどうしたら良いかということになります。とにかく、この副読本は単純過ぎます、逆効果ですよ。いま、福島ではつぎつぎと新しい事態が起こってきています。屋外での体育はどうとか、校庭の土がどうとか。この辺は教育行政をつかさどるところは細心の気配りで情報収集をし、それを県政に生かす必要がありますすね。
棟方 そうです。今の日本というか、青森県でもそうですがこういう問題が多すぎます。三権分立と言いますが四権分立が必要だとつくづく思います。議会などもなっていないものですから、市民も介入していかなければなりません。おかしな話ですが。
小山内 前に生物環境の座談会をやったとき、水田についての副読本が問題になりました。小学5年用の「いのち育む あおもりの農水産業」(「やぶなべ会報」、第23号、2008年)。自然の認識不足も甚だしい、間違いだらけです。あれとまったく同じです。
それから、原発についてですが国の環境基本法は原発推進について許可基準はまったく甘いものになっています。仮に問題点が提起されても両論併記ということになっていて反対意見は採択されません。この辺についても国民すべてが知るべきです。
安全・安心とは、3・11をどう伝える! 意識転換
室谷 いよいよ最終コースに入っていきたいと思います。「3・11」は、国民すべてにとって何でこの短い人生のなかに、この二つを経験しなければならなかったのか。これをどう受け止めて、証言者として未来というか子供たちに伝えていかなければならないのか・・・・。
石郷岡 前々から考えていたことですが、「安全」の意味はどう言う事でしょう。どうもこれは使う立場で内容が異なっているように感じています。今回のことから色々と考えさせられました。
安全について、複数の辞書で調べてみました。多少ニュアンスの違いがありますが、共通点は「危険がない事」という、曖昧な表現が使われていました。私なりに安全とは、「ある事柄(物質や事象など)から何らかの悪影響を受けた場合、心身共にその悪影響を感じないとか、または日常生活に殆ど差し支えない悪影響しか受けない」状態だと思っています。つまり、何らかの悪影響を受けた場合でも、せいぜい2~3日の鼻風邪をひいた程度(生物自身が持つ自然治癒力で回復する程度)の状態を「安全な状態」と考えました。
つぎに、「安全性の高低」とはどういう事でしょうか。まず、量と質の問題があります。例えば生物に必須の塩も過剰であれば悪影響が出ます。ですが誰も危険物とは言いません。これは、量の問題です。ダイナマイトなどの爆発物は取扱いを間違えると直ちに生命の危険性が生じます。これは、質の問題です。これらの問題は誰でも分かりますね。それと、安全性に関しては、もう一つの視点が必要かと思われます。それは、時間軸の問題が出てきます。
良く、「安全・安心」とセットで言われますね。安心は心理的問題なので、安全であっても不安と感じることもあります。「安心」と「安全」は切り離して考えた方が良いのではないでしょうか。
小山内 一瞬、あの敗戦の時代がよみがえってきました。これをきっかけにして日本を本当の民主主義の国家にしていかなければならない、そのためには徹底的な責任の追及しかありません。
敗戦のとき竜飛にいて国民学校の生徒でした。父が新城の学校からここに栄転して青森商船に乗ってきたのです。そのあと高田に行くことになりますが、竜飛には4年いてここから米軍の空爆を見ていました。大変な戦争でした。目の前で連絡船が艦載機に逃げ惑っていて沈められていきました。小学2年ですので記憶がハッキリしています。竜飛には高射砲が5門ありました。木で造ったものも入れれば10門はあったでしょう、灯台の下の方です。それらを全部地下で連絡していました。軍隊の宿舎があり、将校の宿舎の庭にはアジサイが植えてあったのです。今の、竜飛のアジサイはそれが広がったものです。
父は、負けるとは思っていなかったと言っていました。ところが青森は空襲にやられたという。青森には親戚もいます。それでは行って見ようとまた青森商船の船に乗ってきました。コンブやスルメとか色々と持っていった記憶があります。青森はもう廃墟でした、何もありませんでした。それからは、日本はもう少し良い世の中になると思いましたが、この意識はずっと後になってからのことですが、戦争責任がいい加減に処理されてしまいました。これです、今の原発も責任をあいまいにすると同じことになってしまいます。
山道 役人は自分の失敗をごまかして、責任をまぬがれるシステムを作ってきたと思いますよ。
五十嵐(正俊) 今回の福島は自然災害がキッカケでしたが、これまでの原発事故の事例を見ると明らかに人為ミスが原因です。チィルノブイリもスリーマイルも同じです。東通原発も停電で外部電力をつなごうとしたら油漏れがありました。原因はパッキンを逆さにつけたミスで、その間の数時間は冷やせませんでした。この程度で済んだということはラッキーだったということです。原発はちょっとしたミス、自然災害からとんでもないことになります。これもようやく国民が理解したことでしょう。
これからは自然エネルギーしかありません。津波ですが、今回の水をかぶった所は、住宅は建てられません。建てるとしたら強固な高層ビルしかありません。復旧、復興と盛んに言われていますが、ここが基本になります。それにソーラー・風力から発電した場合、蓄電・放電を安定させる供給システムを付けなければなりません。ソーラーは暖かい地方が、発電効率が良いとは必ずしも言えません。雪国でも付ける方角で解決できるそうです。
山道 太陽光パネルが北国で可能であれば日本中でできることになります。風力発電は桜川で小さいものをやっている人がいます、今度見てみようと思います。
棟方 戦争で新城に疎開しました。今回の被災者の気持ちと昔をどうしても比べて見る気持ちになります。物資的にはいまの方がはるかに恵まれていますが、はるかに悲惨ではないでしょうか。何かというと希望がないのです。あの空襲では、食べるものがなくてコールタールまでかじったものですが、何となく希望がありました。ところが今は政府も見通しを示せない、東電も計画変更、変更です。
これを反面教師にするしかありません。情報隠匿、裁判にかけて徹底的にやらなければ・・・・。とにかく情報公開が一番、国民は正しい知識を認識してこれでもって堂々と主張する。この国の危機管理はどうなっているのか、どうしたら良いのか。これほど強く感じたことはありません。
室谷 日本は島国で外から攻められたのは、あの戦争だけです。欧米とか大陸は、しょっちゅう戦争で、やられる前に攻めるでしょう。国の中でも自己防衛が体に染みついています。銃砲所持とか、中国あたりでは長江が氾濫しそうになったとき軍隊が総出で戦おう! そして人民の勝利だと・・・・。日本はいつも安閑としていて、政府はあの混乱ぶりです。日本人は昔から自然災害に対しても辛抱が身に染みついてきたと思います。しかし今の世の中、被災者はいつまで耐えていかなければならないのでしょう。いつかは、自分の身にも降りかかることです。
棟方 海外から日本人の冷静さ、助け合いがずいぶん賞賛されましたね。宗教学者の山折哲雄氏によると「歴史的災害を受けてきた日本民族の無常観に由来する」そうです。しかし、おとなし過ぎます、今度は大いに怒らなければなりません。
徳差 あれから大分、経ちましたがもう今は疑心暗鬼ということでしょう。情報開示がまったくなっていません。肝心なところが明らかにされていません。東大などの学者、東電は経済産業省の天下りがいっぱい、政府の連中は何も知らないものですから結局は具体的な指示ができません。現地の吉田昌郎所長が現場の判断でやってしまいました。もう廃炉しかないということです。これは政府の指示に反した行為でしたが、結局これには認めざるを得ませんでした。政府はさまざまな対策会議を作りましたが危機管理がゼロ、東電トップの無責任体質が途方もない避難民をつくり、どん底に陥れてしまいました。
五十嵐(豊) その後の国会討論を見てもまったく無能というしかありませんね。日本の政治家は恥ずかしい、淋しい気持ちになりました。民主もなっていません、自民も何ですか。過ぎてしまったことをどうのこうの、今はその時期ではないでしょう。もっと建設的な討論をして欲しいのです、情けないというしかありません。明日あさってには内閣不信任案を出すとか、バカでないですか。
災害は必ず起きます、起こったあとどうするか。原発についてもまったく未熟、ただ水をぶっつければ良いとしています。そのあとの処理も考えていません。買占めで物資がなくなったとかの問題、こういうときは国、民間が総力をあげて物資の流通が一番大事です。
室谷 戦後の日本は大きく変わりました。高度経済成長、まあ初めは良かったでしょう、ところがバブルがはじけたとか1千兆円もの借金、年金制度が崩壊? そうなのに、あの政治の体たらくです。日本人を物質文明のとりこさせたのは、敗戦時にこの国の長い歴史に裏打ちされた精神性をぶち壊してやろうというアメリカの陰謀という人もいますが、この大震災が日本を変える転換点にしなければ被災者、犠牲者にあまりにも申し訳ないと思います。
15%の節電は、少しは我慢して工夫すれば大丈夫できるでしょう。自分が車を運転しないから言うのではありませんが車社会は間違った方向にいっていませんか。マイカーは必要なときに使えば良い。公共交通と両立できない方向に暴走してしまったので悪循環に入ってしまいました。郊外線のバスは本数が少なく使いかってが悪いものですから2,3人しか乗っていないときもあります。
五十嵐(豊) 自転車で病院に行きましたが、スタンドにずっと長い行列ができていました。あれは異様な光景ですね。
室谷 ガソリンがないものですから、市営バスまで一様に本数を減らしてしまいました。逆でないかと思います。緊急事態ということで公共交通に軽油とかガソリンを投入して本数をいつもより増やせば良いのです。近場の通勤などは自転車にすれば良いでしょう。いま問題になっているメタボも減りますよ、これで医療費もマイナスになります。終戦直後の何にもない耐乏生活は若い世代に話しても伝わりませんでした。それが今回、身をもって、いやっと言うほど感じさせた、脳みそにインプットしたことになります。これをプラス面にもっていかないと。
小山内 昔はランプを磨きましたね、油はサメ脂などと。これは子供の仕事でした。
棟方 生臭い匂いがしました。煙が出てランプのホヤが黒くなってしまいます。
五十嵐(豊) 人類の進歩と言うか、つぎつぎと便利さがその物差しのようになってしまいました。すべてが電気、それは恐ろしいことです。国民は目覚めたと思います。
徳差 原発というリスクがつきものの「モンスター」に頼るより、段階的に自然エネルギー、再生可能エネルギーに転換していく決断をすることが先決です。節約とか効率化とかは努力次第で可能だと思います。それによって現在の生活水準は十分確保できるはずです。そういう方向を目ざすべきです。
室谷 日本の企業は基礎ができているのでレベルを落とさずやっていくでしょう。国民の意識が高まって政治がまともに機能するようになれば、企業は世界をリードできるようになるでしょう。世界が直面している最大の課題はエネルギーであり環境です。日本がもっとも得意としている分野で、これで引っ張るのです。ようやくその時代が始まるのだと思います。つぎの世代に無責任ではおれません。そうあって欲しいものです。
小山内 とにかくもう一度言いますが、これからは電気を大企業からというのはダメです。そこから出た利益はすべて中央に吸い上げられてしまっています。太陽、風、水など再生可能エネルギーを小規模でいっぱいやるのです。青森県の場合、県民が中心になってやればそこに産業、雇用が生まれます。青森県はフクシマから学ぶところがいっぱいあります、学ばなければなりません。とくに原発のことは・・・・。
この座談会は、{やぶなべ会報}(2011年、第29号:1~18ページ)の転載です。同会報は、青森県立青森高校生物部のOB会「自然を見つめる『やぶなべ会』(青森)」の発行。転載をご承諾下さいましたやぶなべ会の皆様に感謝申し上げます。
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