月別アーカイブ: 2017年1月
【伝えたい記憶】第11回 戦争「空襲で死んだはずの息子が(Yさんの話)」
2017年1月31日 伝えたい記憶
私は戦後生まれなので、母から聞いた青森空襲の話ですが、当時私の家族は少し郊外に住んでいたそうです。兄は6~7歳、姉は3~4歳だったそうですが、兄はもう一人であちらこちらに遊びに行っていたそうです。 空襲当日は青森の友達の …
【柿崎貞蔵の世界】第1回「東奥日報紙で写真が紹介される」
2017年1月30日 柿崎貞蔵の世界
休日明けの月曜日の朝刊に眠気眼をこすりながら目を通すと、地元代表紙の東奥日報紙一面に見たことのある写真が載っているではないか!お孫さんの柿崎真子さんを通じて寄託されている柿崎貞蔵さんの写真が大伸ばしで掲載されていた。 そ …
【あおもりなつかし写真帖】第11回 「大洪水の青森市 今も残る生田勉建築」
2017年1月29日 あおもりなつかし写真帖
この写真は、青森市が大洪水に襲われた昭和44(1969)年8月24日に撮影されたものです。中央に見えるのは、青森市松原にある中央市民センターで、右隅に白く写っている建物は勤労青少年ホームです。 南方移転される前の旧東北本 …
【伝えたい記憶】第10回 戦争「空襲の夜幸畑の家の庭から(小泉さんの話)」
2017年1月26日 伝えたい記憶
幸畑で生まれて今までここに居るから、もう90年もいるけど、あんなにきれいな花火は見た事が無いと言えば語弊もあるかと恩うけど、実際の話、きれいだし恐ろしいし、もう二度とあんな物は見たくないと思った。 丁度夕方で夕涼みがてら …
【タイムトラベルあおもり】06.戦前の青森ねぶたの写真を首都圏で発見!
2017年1月25日 タイムトラベルあおもり
「あおもりっていいなぁ」の担当の方から記事執筆依頼を受け、はじめてこのホームページの存在を知りました。どんな内容なのかなと、あちこちを見ていると、「戦前のねぶたや青森市内の町並み」という文字が目に入りました。首都圏等で活 …
【伝えたい記憶】第9回 戦争「青森空襲の夜 柳町を逃げた(斎藤さんの話)」
2017年1月22日 伝えたい記憶
私は大町で金持ちのお嬢さんで育ちました。青森空襲の前に、爆弾を落とすとビラがまかれたんですよ。父は私達に山に逃げろと言ったんですが、わがままな私は言う事を聞かないで、その目も振り袖を着て過ごしていたんですよ。 そうしたら …
【あおもりなつかし写真帖】第10回 「昭和初期の子ども エンツコに赤ちゃん」
2017年1月20日 あおもりなつかし写真帖
この写真は、昭和4,5年頃に青森市油川で撮影されたものです。写りがしっかりしているところから、専門の写真屋さんなどに頼んだもののように思えます。子供たちの服装からして、一般よりは少し富裕な家庭の子供たちのように見えます。 …
【伝えたい記憶】第8回 戦争「空襲の次の日(母の兄、正夫の話)」
2017年1月19日 伝えたい記憶
空襲の日、母の兄は二度目の兵役から生きて戻って家にいたが、野内村も石油タンクがあるために爆撃をされたので、家で死ねれば本望だと思って覚悟を決めたそうだ。でも兄弟達を安全な所に移動させなくてはならないので、家を離れることに …
【あおもりなつかし写真帖】第9回 「昭和40年代の青森ねぶた 昼運行も大勢の跳人」(2015年7月31日)
2017年1月14日 あおもりなつかし写真帖
青森ねぶた祭が現在のように全日程合同運行となったのは、昭和43年(1968年)からです。コースも国道・橋本〜古川間から新町へというものでした。また、青森県庁前の歩道に有料観覧席が設置されたのもこの年からです。 上の写真は …
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