私は戦後生まれなので、母から聞いた青森空襲の話ですが、当時私の家族は少し郊外に住んでいたそうです。兄は6~7歳、姉は3~4歳だったそうですが、兄はもう一人であちらこちらに遊びに行っていたそうです。
空襲当日は青森の友達の家に遊びに行くとの事で、母に、「早く帰って来なさいよ。」と言われているのに夕方になっても帰って来ず心配をしていると、空襲警報が突然鳴りだし、空を見上げると銀色の敵の爆撃機がいっぱい飛んで来て、青森市内に焼夷弾を何発もバラバラバラバラ落としたそうです。落とされた所から火の手が上がり、あっと言う間に炎の渦になってしまい、人々は郊外に逃げて来たのに自分の息子の姿だけは見当たらず、一晩中凄く心配をして待ち続けたそうです。
しかし朝になっても帰って来ないので、娘を背負って焼け跡の街に探しに行ったそうです。そうしたら途中でトラックに焼け死んだ方々の遺体を山の様に積み込むトラックと出会い、いやだったけどそこを通り抜けようとした時、その遺体の山の中に見覚えのある衣類を見つけたので、無我夢中で引っ張り出したら息子の顔が出て来たそうです。それを無理やりトラックから引き吊り下ろして息子の名前を何度も読んだら、息子が目を開けたので生きているのが分かってすごく嬉しかったそうです。衛生兵達も敵の飛行機にいつ襲われるかもしれないので、私の兄の生死を確認しないままトラックに積み込んだようですが、私の兄は本当に運が良かったと母は言っていました。(聞き書き:張山喜隆/平成29年1月)
今回の証言にあるような事例は、今村修(青森空襲を記録する会会長)さんによると、初めてのケースとのことでした。私達がまだまだ知らないそれぞれの「青森空襲体験」があっただろうことを思わせる貴重な証言記録といえます。張山さんに深謝です。
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