青森が世界に誇る「青森ねぶた祭」。祭に登場する“ねぶた”は、日中の英雄豪傑の人形燈籠とされることが、現在では一般的です。青森のねぶたで表現される題材は、ある程度幅があるものとされています。事実、弘前のねぷたでは、三国志や水滸伝などの伝統的な題材が多いと言われ、地域によって題材の特色も異なるようです。
このようにある程度の自由さがある青森のねぶたでは、「これは伝統に反するのでは?」とされるねぶたが時に登場します。記憶に新しいものでは、平成27(2015)年の夏に登場した、映画「スター・ウォーズ」の中型ねぶたでしょう。若手ねぶた制作集団「ねぶた屋」の先生方による力作は県内外でも話題となりましたが、同時にやはり「伝統に反する」という声が聞こえたのも事実でした。
確かに、西洋風の人形燈籠には違和感を感じる人も多かったことでしょう。しかし、ねぶたに限ったことではないですが、ある程度の様式美が存在するものの中に、真新しいものが初めて登場すると、違和感を感じるのは当たり前のことです。一方で、その斬新さを賞賛する方々もいます。造形美術や芸術の歴史ではよくあることですが、一度否定された表現が一部で評価され続け、後の時代に定番化するという例は、古今東西よくあることなのです。
例として、現代の青森ねぶたで定番となっている「歌舞伎」のねぶたを取り上げてみましょう。歌舞伎のねぶたはいつ頃から登場したのでしょうか。それは大正時代にまで遡ります。当時のねぶた制作者に、柿崎琴章という方がいました。美術的才能を発揮し、凧絵をよく描いていたと聞きます。彼が得意とした画題に歌舞伎ものがあったことから、ねぶたでも積極的に歌舞伎ものを取り上げていたようです。
また同じく大正時代、大正2(1913)年には、現在の青森市青柳二丁目・本町五丁目付近に歌舞伎座が開業し、昭和まで青森市民の娯楽の場として定着していました。そこで上演される英雄豪傑の主役たちを見て、ねぶたの制作者達も影響を受けたと想像できます。実際、当時の新聞記事には、新たに歌舞伎の題材が幾らか登場していたことが記録に残されています。当時の時代背景と制作者の趣味嗜好の影響がうかがえます。大正時代以降は、この「歌舞伎」ねぶたが定番として現代に伝わっているのです。
このように、まだ馴染みのない頃には定着しなかったものでも、後に定番化する例は幾らでもあります。スター・ウォーズねぶたはあくまで広告目的の商業ねぶたでしたが、これに限らず、ねぶた制作者は新しい表現を毎年模索しています。一人一人好みは異なるものですが、新手の表現も否定することなく、寛容に受け止めたいところです。青森ねぶたを享受する青森市民に、今一度その姿勢が求められている気がします。こうして、“伝統”とされるものは、時代を経て変わっていくのでしょう。
皆さんも現在と未来のねぶたについて考えたい時、まずは過去のねぶたを振り返ってみてはいかがでしょうか。
◆この記事は、工藤友哉(「青森ねぶた全集」編著者)さんにご協力いただき作成しました◆
(青森まちかど歴史の庵「奏海」の会:青森太郎)
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