青森電務区の夜勤だった母は、その夜一睡も出来ずに、朝日の中に煙る無残な青森市の焼跡を見る事になった。
先ずはうっすらと明るくなりかけた東の空に、そこからは山頂しか見えなかった東岳が麓まで見え、続いて見えるはずの無い合浦公園の松林が見えた。まさかと思い恐る恐る窓辺まで行くと、黒く焦げた駅舎と、いくつか残ったビルの残骸だけが影を落とし、後の木造家屋等は全て焼け落ちて、炭の山になっていた。
窓から漂って来るのは硫黄の匂いと火事場の匂いで、直ぐに窓を閉めて電話の交換台に座った。どこからも電話がかかって来ないまま暫くすると、早番の同僚が泣きながら入って来て、「良く生きていた」と抱きついて来た。同僚は、実家のある安田の高台から見ていたそうで、駅が最初に攻撃されたと思っていたとか。とにかく朝来てみたら駅の建物が立っていたのでほっとしたそうだが、「駅前は天変だよ。見ない方が良いから。」と言われた。
もう一度窓を開けて身を乗り出すようにしてみたら、軍隊のトラックに、焼けただれて亡くなった方々の遺体が、無造作に折り重なって積まれていた。先程まで見ていた家の焼跡だと思っていたのは、人間の遺体だった事がわかり、道なりに目を勤かすと、まだ収容されていない遺体がまだ10体より多く見られた。(聞き取り:張山喜隆)
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