校門を入ってすぐ右に直立不動の「三中の松」(筆者撮影)

校門を入ってすぐ右に直立不動の「三中の松」(筆者撮影)

1934(昭和9)年の青森中学校正面。校門右側の樹木が「三中の松」(青森中学校45期生記念誌より)

1934(昭和9)年の青森中学校正面。校門右側の樹木が「三中の松」(青森中学校45期生記念誌より)

青森市桜川に広大なキャンパスを誇る青森高校。校門を入ると右側に2本のクロマツが存在感を見せています。向って左側が「三中の松」(写真上)と親しまれ115年前の創立時から青高生を見守っています。

もちろん初めからここにあったわけではありません。「青森県立青森高等学校」の歴史を紐解くと、本校の前身は青森県立第三中学校として明治33(1900)年9月11日、今の青森県庁の東側に創立。そのときクロマツの幼樹が植えられました。ここは青森市の中心部でしたがキャンパスは手狭で、1909年に堤川を渡って合浦ケ浜に移転することになります。校名も県立青森中学校と改称。

校舎は白が基調の「白堊の校舎」と親しまれました。創立記念樹のクロマツも校門を入って右側に移植。樹齢はまだ10年ちょっとでしたが、最初の校名を冠し「三中の松」としたのです。青森湾からの海風に鍛えられながら雄々しく生長しました。(写真下)

1945(昭和20)年7月、あの忌まわしい青森大空襲で白堊の校舎は全焼、焼け残ったのは校門とこの「三中の松」。青中は校名を青森県立青森高等学校と変えて現在地に移転しましたが、遅れて1976年卒業生たちの熱意で、この松も現在地の北門脇に移植、2010(平成22)年に今の正門に移されたのです。

青森高校は、この9月創立115周年を迎えました。所在地は転々、校舎も9代目。ただ、「三中の松」だけは年輪を重ねながら、青高生を見つめ続けています。(青森まちかど歴史の庵「奏海」の会・室谷洋司)