青森市長島にある青森県庁の傍を通りすぎようとすると、シートですっぽり包まれた「脱皮中」の外観が見えてきます。なんと、6階建ての建物を5階建 てに「減築」するという、官公庁舎では前例のない工事が行われています。減築する主な目的は、1階分減らすことで軽量化し、地震に対する強度を増すことに あるそうです。減築工事は平成28年4月に始まり、10月には終了。その後、内装・外壁工事等があり、平成30(2018)年末に新しい県庁としてお目見 え予定です。

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さて、現在の青森県庁が建てられたのは昭和36(1961)年、半世紀以上前のことでした。設計は著名な建築家=谷口吉郎。 下の図は完成時に配布された県庁案内図ですが、どこか変だと思いませんか。なんと、別館(=現在の東棟=減築前は6階建て)が5階建てになっているではあ りませんか!本館(=現在の南棟)と同じく6階建ての計画が、県南地区の災害復旧に予算を回すため、急遽5階に減階されのだそうです。

青森県庁案内図(昭和36年)

更にこの図を見ていくと、色々なことがわかってきます。例えば、電話番号は局番無しの4桁、冬期間の執務時間は午前8時30分から午後4時まで。土 曜日 (夏は正午までの半ドン) は午後3時まで。東棟は「県庁別館」と呼ばれていた、その別館には教育委員会が入室していた、本館屋上には「展望室」があった、などです。その頃の高層建 築には「展望室完備」(例えば、松木屋デパート)が普通だったようで、県庁の展望室にも長椅子などが備え付けられ、一般開放されていたようです。今回の減 築工事で、展望室はその歴史的役割を終え、撤去されます。

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その後、部署が増えたことなどから、昭和46(1971)年に東棟に6階部分を増築し、ようやく「本来の姿」となりました。具体的にはどのような増 築工事が行われたのでしょう。例えば鉄筋のつなぎはどのようにしたのかなど、以前から気になっていました。増築工事前に撮影された写真を拡大してみると、 東棟5階屋上にだけ四角い箱状の物(=カバー?)が沢山見られました。これが増築工事のための鉄筋延伸部分だったのではないかと考えられますが、裏付資料 を見つけることは出来ませんでした。

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また5階から6階へ続く階段は、設計上そうせざるを得なかったのか、1階から5階の階段と少しずれた位置にありました。前述のような経緯があるとも 知らず、6階への階段を利用するたびに、おかしな設計をしたものだと思っていたものです。今回の減築工事で、県庁舎建築史の「生き証人」だった階段部分は 本来の役割を終え、空調設備スペースとして使われるようです。今後、青森県庁舎の「トマソン」的存在になることまちがいなしです!

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人は老いて幼児に帰って行くと言いますが、青森県庁舎(特に東棟)も年数を経て、6階→5階→6階→5階と昔へ帰って行くようです。県有施設の保有総量縮小、効率的利用および長寿命化策の一環として推し進めた今回の青森県庁舎の改修工事は、著名な建築家である谷口吉郎の作品を更に40年近く「延命」するという「副産物」を生み出しました。外観などは大きく変わるものの、基本構造はほぼ昔のままなので、建築ファンから注目を浴びるのではないでしょうか。

このような行政が保有する「歴史的建造物の保存」に率先して取り組んだ事業を、青森県民としても大いに誇りとして良いと思います。今後、県内各市町 村は県の先進的取組に学び、所有する建造物の価値を再調査し、保存・長寿命化に努めてほしいものです。例えば青森市松原には、著名な建築家生田勉が設計した青森市勤労青少年ホーム(サンピア)があります。生田の現存する作品は希少であることを知っている建築ファンは、弘前市にある建築家前川國男作品を見学した後、ここにも足を伸ばしているようです。「建築家前川國男・谷口吉郎・生田勉作品巡りツアー」という企画、建築ファンにはきっと受けると思います。

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最後に、昭和 20(1945)年7月28日の青森空襲で焼失した戦前の県庁舎と一代前の県庁舎の姿を紹介して、今回のタイムトラベルを終わることとします。「温故知新」。ここまで拙文にお付き合いくださり、ありがとうございました。

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(青森まちかど歴史の庵「奏海」の会:青森太郎)