青森市から木造村へ疎開

青森市から木造村へ疎開

戦争は1945年8月15日に日本が負けを認めて終わったわけですが、その前から日本の色々な都市が爆撃を受けており、いよいよ青森も危ないのではないかと思われておりましたので、小学校では入学前でも随時疎開を認め、高学年の5・6年生は5月から6月にかけて疎開をさせました。

疎開とは、大きな町だと攻撃をされやすいので、田舎の方へ逃げておきなさいと言う事で、私は小学6年生でしたから5月頃に母の弟の奥さんと、その1歳半になる子供と生後6か月くらいの赤ちゃんと一緒に、西津軽郡木造村金立と言う場所に疎開をしました。