主に青森市の古写真(絵葉書)や地図などを展示している、青森まちかど歴史の庵「奏海(かなみ)」の公式ホームページです。

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【伝えたい記憶】第28回 戦争「弘前からも見えた青森空襲 木村義照(大正12年生)」

青森空襲の時私は21・2歳だったと思います。弘前の陸軍歩兵隊に居りました。「青森、燃えているぞ」の声で青森方面を見ると、もう青森の空は真っ赤だった。空一面、どす黒いピンク色だったと感じたな。それを見てまず感じた事は、「次 …

【タイムトラベルあおもり】13.青森市を代表する無形民俗文化財「青森のねぶた」

青森県の様々な時代の歴史と文化を次の世代、未来の豊かな県民文化へと引き継ぐべき存在が文化財です。中でも風俗習慣や民俗芸能などの無形民俗文化財は地域の誇りであり、そこに住む人々が守り、そして伝えて行くものだと思います。そし …

【あおもりなつかし写真帖】第20回 下北の小正月風景

県内の農家では近年まで旧暦で正月を行い、一月一日からの大正月、一五日からの小正月、そして二月一日のサントシ(サンショウガツなどともいう)という三回の正月を祝ったものだといいます。この中でも小正月にはもっとも多くの儀礼が行 …

「青森東高校三回生 3年1組の思い出」03.スクールバスの中で

青森東高校には、青森市営バスを借り上げたスクールバスがあった。二年生の最初の頃は、慣れるまでは自転車通学が禁止だった為に、仕方なくこのスクールバスを利用させてもらった。 朝停留所でバスを持っていると、東高校前と書かれたバ …

【タイムトラベルあおもり】12.青森ねぶた古写真と古書店

古書店による「青森ねぶた資料」の発掘 最近、青森市内の古本屋さんに郷土史関係の資料が多量に出回っているらしく、私も貴重本を数冊入手しました。その「出処」を探している中、青森ねぶた関係の資料を「古書らせん堂」さんから青森ま …

【青森空襲紙芝居作成プロジェクト】第24回(完結) 寂しい疎開

その日の夕方の五能線の汽車で私達は親戚のいる木造村に向いました。でも帰りの汽車は貨物列車で、屋根のない貨車にずっとしゃがんだままで乗って行き、トンネルの中も汽車の煙の煤で皆真っ黒になっても、誰もが無言で乗っていました。一 …

【青森空襲紙芝居作成プロジェクト】第23回 貨車で疎開

後で聞いた話ですが、母の弟の叔父さんは、「北海道の室蘭が爆撃空襲されると思い、そこにいた叔母さんと子供達を折角青森に疎開をさせたのに、木造村にそのままいれば良かったのに、何で子供をわざわざ連れて青森に来たんだ。」と、とて …

【青森空襲紙芝居作成プロジェクト】第22回 眩しすぎる太陽

今思うと、自分も母になり子を思う気持ちが強いので、母のくやしさ、悲しさなど亡くなった時の叔母さんの気持ちがわかるので、今でも益々悲しくなって来ますがその時は、叔母さん達が亡くなった話を聞いて、私はずっとその寺の場所から離 …

【青森空襲紙芝居作成プロジェクト】第21回 防空壕の熱さと炎

その話を聞いた時私は、「自分は助かって良かった。」と思い、「叔母ちゃんと赤ちゃん達、死んじゃったんだ。」とだけ思いました。でも段々と時間が経つにつれて、「あの汽車で昨日一緒に来た叔母ちゃん達と、もう一緒に帰れないんだ。」 …

【伝えたい記憶】第27回 戦争「青森大空襲の避難者を助けた父(淡谷弘子さんからの聞き取り)」

青森大空襲の時私は6歳だったと思いますが、その時の父のとった行動は今でもよく覚えております。私の家は今の松森町に有りましたが、今と違ってまだ畑や田んぼが周りにいっぱいありましたので、青森中心部の人達が疎開をしに来ている人 …

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