主に青森市の古写真(絵葉書)や地図などを展示している、青森まちかど歴史の庵「奏海(かなみ)」の公式ホームページです。

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【伝えたい記憶】第4回 戦争「青森空襲の次の日」

  青森電務区の夜勤だった母は、その夜一睡も出来ずに、朝日の中に煙る無残な青森市の焼跡を見る事になった。 先ずはうっすらと明るくなりかけた東の空に、そこからは山頂しか見えなかった東岳が麓まで見え、続いて見えるは …

【伝えたい記憶】第3回 戦争「青森空襲の夜」

母が二十歳の頃、青森駅の電話の交換手として、電務区と言う所に勤めていたそうだ。青森空襲の日は、丁度夜間勤務の目だったので、午後の5時頃から勤務に入ったそうです。 それから間もなく、母の電話交換台に、新潟管区から呼び出し信 …

【伝えたい記憶】第2回 戦争「青森空襲 前田さんの記憶」

その当時私は女学校を卒業したばかりでしたが、役所の人が家に来て、「小学校の先生になってくれ」と頼まれて、別にやる気も無いまま先生をしていました。 そんな時、急に生徒達を雲谷方面に疎開をさせると校長が言いだして、遠足のよう …

【伝えたい記憶】第1回 戦争「校庭にも高射砲」

戦争中は校庭にも高射砲があり、小学生達が毎朝登校する時間に、兵隊達が7〜8人くらい整列をして号令をかけ、国旗に敬礼をしていたそうです。学校でも体育の時間は、もっぱらバケツを使った消火訓練と、竹槍を使った突撃訓練をしていた …

【タイムトラベルあおもり】05.青森県庁舎秘話

青森市長島にある青森県庁の傍を通りすぎようとすると、シートですっぽり包まれた「脱皮中」の外観が見えてきます。なんと、6階建ての建物を5階建 てに「減築」するという、官公庁舎では前例のない工事が行われています。減築する主な …

【タイムトラベルあおもり】04.全国初の大学公認部活動/青森大学忍者部

訪日外国人観光客の数がここ数年伸び続けています。 一時期は大都市の商業地が日本製品を爆買いする外国人であふれましたが、最近ではその数も落ち着き、一方で日本の文化や歴史に触れる旅が外国人の注目を集めています。 青森県は縄文 …

【あおもりなつかし写真帖】第5回「岩木山の雪形 40体以上住みつく 」(2015年6月12日)

写真上は昭和31(1956)年5月30日に弘前市郊外で撮影された田植えの風景です。津軽の農村では“猫の手も借りたい”、一年で最も忙しいときです。 背景の岩木山山頂付近にはいくつもの雪形(残雪)が見えます。このうち一番右側 …

【あおもりなつかし写真帖】第4回「八甲田山の雪形 農作業の段取り示す 」(2015年5月22日) 

200年ほど前の春、江戸時代の紀行家・菅江真澄(すがえますみ)は青森の村々を巡っていました。三内で縄形や人の仮面をした古い瓦{三内丸山遺跡}を 見たあと、くっきりと山容を見せる八甲田山の残雪模様が、コメ作りの適期を教える …

【タイムトラベルあおもり】03.伝「忍者の家」 

1ヶ月ほど前から、弘前城の南側に当たる住宅街の一角で、「忍者屋敷」ではないかとみられるお屋敷が発見され話題になっています。ことの発端は、青森大学薬学部に今春、大学公認の「忍者部」ができたのが報道され、伝「忍者の家」の現所 …

【タイムトラベルあおもり】02.菅江真澄が見た220年前の風景 青森市高田の“つむれ”は、今

江戸時代後期の旅行家・菅江真澄は、北海道や東北地方を歩き多くの日記を残しています。今から220年前の寛政8(1796)年、真澄は青森市周辺 の村々を巡っていました。桜が満開の季節で、土器の出土で当時からその名を知られてい …

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