主に青森市の古写真(絵葉書)や地図などを展示している、青森まちかど歴史の庵「奏海(かなみ)」の公式ホームページです。
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あおもりなつかし写真帖

平成27年4月から平成28年3月まで25回にわたって、東奥日報社の金曜日(毎月第2・4)夕刊に青森まちかど歴史の庵「奏海」の会会員が中心になって、「あおもりなつかし写真帖」と題し連載したものです。

【あおもりなつかし写真帖】第20回 下北の小正月風景

県内の農家では近年まで旧暦で正月を行い、一月一日からの大正月、一五日からの小正月、そして二月一日のサントシ(サンショウガツなどともいう)という三回の正月を祝ったものだといいます。この中でも小正月にはもっとも多くの儀礼が行 …

【あおもりなつかし写真帖】第19回 映画「八甲田山」の様子

俳優高倉健さんの代表作の一つに、昭和50年代前半に公開された映画「八甲田山」があり、青森県を舞台にした映画であることは広く県民にも知られています。しかし、その映画のスチールを担当していたのが、青森市在住の写真家藤巻健二さ …

【あおもりなつかし写真帖】第18回 戦前の修学旅行記録

昭和20(1945)年7月28日の青森空襲をくぐり抜けた旧家の蔵に収められていた1本の動画フィルム。フランス製で、コマ下の真ん中にフィルムを送る穴が開いた幅9.5㍉の特殊なものです。 その中に、昭和12(1937)年の青 …

【あおもりなつかし写真帖】第17回 映画館「歌舞伎座」

「コロナサイダー」と書かれたマッチラベル。この名前は、青森市民には馴染みがありません。歌舞伎座(現モルトン迎賓館)の東側にあった日輪商会が販売していました。「日輪=コロナ」からコロナサイダーと名づけたと思われます。 実は …

【あおもりなつかし写真帖】第16回 青森の歌声喫茶「どん底」

最近、昭和30年代中頃に撮影された貴重な古写真を入手しました。青森市柳町にあった歌声喫茶「どん底」の店内を撮ったもの=写真上=です。表情が見えないのが残念ですが、アコーディオンを担ぎ、楽譜を見ながら歌っている男性と女性が …

【あおもりなつかし写真帖】第15回 「青森高のクロマツ」

青森市桜川に広大なキャンパスを誇る青森高校。校門を入ると右側に2本のクロマツが存在感を見せています。向って左側が「三中の松」(写真上)と親しまれ115年前の創立時から青高生を見守っています。 もちろん初めからここにあった …

【あおもりなつかし写真帖】第14回 「若き寺山がいた時代」

上の写真は、昭和28(1953)年に撮影された旧青森駅前の様子です。「帰国者 歓迎」の看板と、駅前に止まる3台の三輪自転車タクシー、別名「輪タク」が目を引きます。「輪タク」は、写真が撮られた頃には、ほとんど姿を消したと言 …

【あおもりなつかし写真帖】第13回 「喫茶店のマッチラベル」

マッチラベル帳が回覧されたのは、5月定例会でした。マッチ箱から女性らしい細やかさで丁寧に剥がされ、60余枚それぞれに思い出が書き添えられています。この中の一枚に、青森市上新町の北谷書店2階にあった喫茶店「ラスキン」のマッ …

【あおもりなつかし写真帖】第12回 「岩木山のお山参詣」

岩木山は青森県最高峰であり、美しい容姿をしているため津軽富士とも称されます。岩木山はまた信仰の山でもあり、毎年行われるお山参詣は秋の津軽地方最大の祭礼です。津軽各地から集落単位の集団で行列をつくり、五穀豊穣や家内安全など …

【あおもりなつかし写真帖】第11回 「大洪水の青森市 今も残る生田勉建築」

この写真は、青森市が大洪水に襲われた昭和44(1969)年8月24日に撮影されたものです。中央に見えるのは、青森市松原にある中央市民センターで、右隅に白く写っている建物は勤労青少年ホームです。 南方移転される前の旧東北本 …

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