コロナ禍の中、展示作業もままならずの状態が続いている関係上、2020年6月末ころまで展示を続ける予定にしています。開館はしておりますのが、予め電話等でお確かめの上、おいでください。
・時間:10時~17時
・休み:毎週月曜日、第2第4日曜日
『開催にあたり』
青森市は太平洋戦争最終末期の昭和二〇(一九四五)年七月二十八日の米軍による大空襲により、街のほとんどは灰燼に帰し、死者も一〇〇〇人を超えるという未曾有の被害を受けました。 しかし、青森市民はこの痛手から立ち上がり、短期間で復興を果たしますが、復興の中で市民に重くのしかかったのは、子ども達の学び舎である学校の復興でした。
この学校の復興を丹念に記録し、私たちに届けてくれた方がいます。 元教師の川原田満有氏(八十八才)で、この資料を元に展示を行いました。 青森市は、空襲で①莨町②橋本③浦町④新町⑤長島⑥古川⑦千刈の七校の国民学校、⑧県立青森中学⑨県立第二工業学校(青森商業学校)⑩市立第二中学校(夜間)⑪県立青森高等女学校⑫市立高等女学校⑬私立堤橋高等女学校⑭私立東奥家政女学校⑮私立山田高等家政女学校⑯官立青森師範学校男子部及び付属国民学校⑰官立青森師範学校女子部及び付属国民学校⑱県立青森聾唖学校⑲官立青森医学専門学校寄宿舎及び附属病院が焼失した。 焼失を免れたのは、①沖館国民学校②造道国民学校③県立青森第一工業学校④市立第一中学校⑤私立青森女子商業学校の五校のみで、青空教室や二部、三部授業の解消、戦後の新制中学校義務化、高校制度などの学制制度改革で、大変な負担と努力が求められた。
戦後の青森の復興は、学校の再建とともにあったと言っても過言ではなく、そのために大変な努力を払われました。この他、幼稚園や戦後廃止された青年学校、青年師範学校などもありますが割愛させて頂きます。
この復興の過程を丹念に調べ上げ記録した川原田先生の努力に心から感謝申し上げ、資料を活用・展示させて頂きました。なお、ご来場された皆さんで、新資料・写真などをお持ちの方は、ご提供いただければ幸いです。ご来場に感謝申し上げます。
2020年4月8日 青森まちかど歴史の庵「奏海」