―ふりむくなふりむくな後ろには夢がない
寺山修司の有名な詩「さらばハイセーコー」の一節だ。これにはこんな続きがある。
―だが忘れようとしても
眼を閉じると
あの日のレースが見えてくる
耳をふさぐと
あの日の喝采の音が
聞こえてくるのだ
実は寺山ほど思い出や過去や歴史に執着し、問いかけ続けた詩人もいない。
昨今は戦争にしろ災害にしろ、あったはずの過去を「なかったこと」にして都合よく生きる、という風ばかり強く吹いている。そんな風潮に疑問を投げかけ続けているのが2013年に発足した「青森まちかど歴史の庵「奏海(かなみ)」の会」だ。
「歴史を記録し大切にすることは、自分たちや未来を生きる子供たちのためなんです」と、庵主の今村修氏は微笑んだ。
「だって歴史に残るとなると、悪いことができなくなるでしょう?」
この「奏海」の会からの最初の刊行物になるのが『藤巻健二写真集』である。
冒頭に置かれた「奏海」の会の相馬信吉会長の言葉が、この写真集の値打ちを言い尽くしている。
―朝起きてから眠りにつくまで、私達のまわりには色々な情報が飛び交い、地球上でおきている全てのものを知り得ているような錯覚に陥ります。しかしその情報の洪水から自分を別な地点に置いてみた時、本当にそうなのか、身近にある大事なものを私たちは見落としてはいないのか、と問うてみたくなります。
フジマキケンジは無心の天才である。彼は宇宙人か、はたまたガラスのマントを着た風の又三郎なのか… いつの間にか自然や街や人々の間にするりと滑り込み、ほんものの日常の人や町の横顔をかすめとってくる。いつシャッターをきるのかわからない。切り取られた一枚に宿る瞬間の美と膨大な情報量。藤巻の目と技術の確かさに驚かされる。
彼の青高同窓生には報道カメラマン澤田教一や、劇詩人・寺山修司がいる。彼らの表現の源泉は子供時代の戦争体験と青春期の日本の高度経済成長にある。社会の変貌と成長からこぼれ落ちた風景、光景、市井の人々、勝者ではない人々へのあたたかい寄り添うまなざしと姿勢…。世界へと飛び出した沢田や寺山とは対照的に、藤巻健二は青森を生涯離れずにそんな日常と地続きの風景に向き合いシャッターを切り続けた。それは藤巻が生きて暮らした戦後の青森の日々そのものだ。理屈でなく、ただ行為の膨大な蓄積だけがある。
ページをめくれば懐かしい記憶の風景がよみがえる。けれどノスタルジーではない。八十五歳現役カメラマンのとんがった挑戦である。寺山や沢田が忘れられることなく、むしろ年々必要とされているように、藤巻の写真も時代に必要とされている。
その一枚一枚には常田健や阿部合成の描く絵のようには生活者たちの命が宿っている。今和次郎の考現学を郷土で結実させた今純三の「青森県画譜」のように、民俗学的価値も高い。これは膨大な藤巻の仕事から三百三十枚を選りすぐって、そこに言葉を添えた編集者や協力者たちの成果でもある。平成という時代が終わろうとする今、この一冊は激動の昭和の生き証人となるだろう。
本の帯には同窓生代表の三浦雄一郎の言葉が刻まれている。「カメラを最高の語り部として、語りかけてくる」と。いまも藤巻は八甲田山の伝説の案内人、鹿内仙人のように、青森の伝説のカメラマンとして神業のように写真を撮り続けている。年齢を超越した身の軽やかさ、冗談交じりの言葉の応答のスピード。目の輝きに世界に対する尽きない好奇心を潜ませて、フジマキ仙人の活躍はまだまだ続く。
―要は、時間を止め、光を写し、出来事を記録すること。
小手先の美学や観念で作られた写真なんて量が一蹴します。森山大道
※世良啓さんから寄稿していただきました。感謝申し上げます。