開催にあたり
青森市の象徴である八甲田山大岳の麓にある酸ヶ湯温泉は、薬効が高く藩政時代から「鹿の湯」とか「酢ヶ湯 」と呼ばれ、親しまれてきました。この酸ヶ湯温泉は、約三百四十年前の貞享元年(1684年)に横内村の狩人、小山内左衛門四郎が手負いの鹿を追って発見したもので、地元民の湯治場として栄え、大正中ごろまでは、荒川・金浜を経由し約28キロの山道を主として歩いて往復していました。
最初は、地元の人たちが小さな小屋を建て、山菜採りや狩人などに温泉を開放していましたが、この小屋主が集まり、湯治場をつくったそうです。明治二十八年に旅館が建てられ、大正九年(1920年)に横内から酸ヶ湯への道が完成し、昭和四年(1929年)には、東北帝国大学高山植物研究所が開設、また、私営バスが運行をはじめ、昭和九年(1934年)に青森|十和田湖間の県道が完成、省営バスが私営バスを買収して十和田湖までの定期バスを運行した。また、タクシーも運行を始めた。
昭和十一年(1936年)には十和田国立公園に指定され、全国的に宣伝され、酸湯温泉を訪れる人は急増した。昭和二十九年には、国民保養温泉第一号の指定を受け現在に至っています。酸ヶ湯温泉の大浴場は、ひば千人風呂と混浴が有名で、「混浴を守る会」までつくられています。また、版画家「棟方志功」画伯が若いころから訪れて作品をつくったり、スキーヤーの三浦雄一郎氏の父である三浦敬三さんも酸ヶ湯をこよなく愛した一人です。また、戦前から戦後にかけて、仙人の愛称で親しまれた「鹿内 辰五郎」氏が山の案内人として活躍しました。
夏は登山、冬はスキーの拠点として、そして、映画「八甲田山」でさらに有名となった「酸ヶ湯温泉」の歴史を写真と絵葉書でたどり、改めて青森の貴重な財産であることを知っていただき、大切にしたいものです。
【急告!】都合により、2021年6月30日まで、会期を延長することとしました。