最近は大洪水が頻発しています。我が青森県でも、昭和10(1935)年に全県下がことごとく被災を受けた大洪水が起こっています。このことは、自治体史ではさほど詳しくは触れられていず、当時それを体験した人もいなくなった現在、人々の話題に登ることもありません。
そこで、青森まちかど歴史の「奏海」の会では、「災害は忘れた頃にやってくる」前に、水害に対する人々の記憶をもう一度呼び起こしてもらうために、今回の企画展を開催することとしました。会場には、当時東奥日報がまとめた「昭和10年8月 青森県水害実記」を元に、約80枚の記録写真や防災マップなどを展示しています。会期は、2019年12月28日までです。入場無料ですので、お気軽に会場にお出でください。
開 催 に あ た り
今年も台風15号、19号が全国各地に甚大な被害を与えましたが、青森県内では大きな被害はありませんでした。
しかし、昭和10年8月21日夜半から降り注いだ豪雨は、県内全域で未曾有の大水害を発生させ、死者20人、傷者192人、行方不明7人、被害総額は現在の金額に換算し約449億円(当時の金額で、約2480万円)にも上りました。
当時、世界的恐慌の中、昭和6年以来の冷害や水害により、農村部では貧困に窮し、欠食児量や娘の身売りなどが続く中、昭和10年は、春から順調な天候が続き、豊作が期待されていたものの、追い打ちをかけた豪雨による大水害は、県人口の7割を占める農家だけでなく、県経済にも深刻な打撃を与えました。
この水害は、青森測候所によると、8月21日から24日までの降雨量が最も多い所で、十和田湖畔休屋の455mm、十和田村澤ロ400mm、五戸369mm、岩木川流域、碇ヶ関333mm、黒石303mm、弘前298mm、五所川原290mm、板柳291mm、金木155mmとの豪雨に寄るものでした。時代は、大正デモクラシーの時代が終わり、満州事変が起こり、満州国の建国、15年戦争への突入、5.15事件、国際連盟脱退、暗殺や思想言論の取締、2.26事件と戦争の時代に突入していました。
そのため、農村部からの兵員徴発で働き手が減少、戦争遂行のための河川工事の停滞などもあり、被害を一層大きくしています。
岩木川流域の水害対策は、藩政時代から続き、大正7年岩木川改修事務所開設以来、国の直轄事業として治水事業が取り組まれましたが、戦争の影響を避けることはできません
「青森懸水害實記」では、冒頭のあいさつで次のように述べています。
「今回の大水害による県民の苦悩は、天災の寄るものであるが、水害に備える対策の遅れもあり、これは、青森県民のみならず、国にも大きな責任がある。ゆえに、青森県救済策は国家の問題として対策を取るべきである。とくに、①政府は、青森県、東北を関西地方や北海道と同等に扱い、政治的、行政的、産業的特別施設計書を実現すべきである。②租税軽減、金利低下の施策を実行すべきである。 ③国家の基礎たる強兵の出身地青森県及び東北の価値につき従来の誤れる認識を是正すべきである」と述べています
当時の政治状況みると、思い切った発言で、国の政治の中で青森県や東北が置かれていた状況を端的に物語っており、対策の遅れが被害を拡大させたものと指摘されます。
この大水害は、その後の河川改修事業の促進に大きな役割を果たしてきましたが、未だ万
全の対策は出来上がっていません。
災害は忘れた頃にやって来ると言われます。そのときに備えよう!