開催のあいさつ
写真家藤巻健二氏が乞われて、映画「八甲田山」のスツール写真を担当し、手元に多くの写真が残されていたことから、これまで何度か写真展「八甲田山」を開催してきましたが、小説「八甲田山死の彷徨」を映画化した「八甲田山」は、真実とは異なることから、遭難原因を巡って様々な意見や出版物が発行されてきました。
今から百十九年前の明治三十五年一月、青森歩兵第五連隊は一泊二日の雪中行軍を行い遭難し、百九十九名の死者を出す大惨事となりました。一方、弘前歩兵第三十一連隊は、十一泊十二日の雪中行軍で、見事踏破し全員帰還しましたが、青森歩兵第五連隊の悲劇が全国に報じられ、多額の義援金が寄せられるなかで、歴史の表舞台から消され、その事実は明らかにされず、長い間、歴史の闇の中に閉じこまれてきました。しかし、雪中行軍の問導や参加した兵士達の孫が口を開き、その実態が明らかになりました。当時、同じ八師団に属した兄弟部隊であった青森五連隊と弘前歩兵第三十一連隊の明暗を分けた行軍は、その原因と責任を巡って様々な葛藤があったと想像できます。
今回、闇に閉じ込められてきた弘前歩兵第三十一連隊の雪中行軍の実態を、当時、参加した兵士の孫である間山元喜氏の資料により、明らかにしたいと思います。明暗を分けた二つの雪中行軍ですが、この二つを比較するのは本当に正しいのだろうかと疑問を抱きます。五連隊は、兵士の雪中での通常訓練、三十一連隊は、将校と下士官を中心の小隊で、雪中行軍中の研究・調査が任務であり、二〜三名のグループに分けられ、課題と報告書が求められ、行軍の案内や宿泊、食事の提供などを通過町村などへ要請しています。
弘前歩兵第三十一連隊雪中行軍の実態は、隊長福島泰蔵大尉が残した資料や参加兵士の残した資料によることが多いが、謎の多い雪中行軍と日露戦争へと向かう当時の軍隊の実態や、その後の世相を知るうえで大きな役割を果たすことを願い開催しました。
とき:2021年1月6日から30日
ところ:青森まちかど歴史の庵「奏海」 青森市本町2-1-10 電話 017-777-6200